猪斃る大久保山
 
日 時:2006年12月16日(土)
天 気:快晴のちくもり
行 程: 905高尾−947,955大月−1010間明野〜1030切目峠〜1055,1103ツチノオト手前〜1110ツチノオト〜1145,11531000m地点〜1230,1410大久保山南肩〜1450,1455970m地点〜1530ツチノオト〜1610,1620堰堤−1635,1650大月−1735高尾

ルート断面図とルート図
大久保山断面図 大久保山ルート
カシミール3Dにて作成しています

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「熊が出たんだよ」 軽トラックの脇を抜けて山道に差し掛かると、焚き火をしていた男が立ち上がって声を掛けて来た。オレンジ色のベストを着て猟銃を小脇に抱えた猟友会スタイルだ。 「今仲間が二人で追っているから気を付けた方がいいよ」 「えー、撃たれたらいやだなー」 「熊より人が怖いよ」 いきなりぶっそうな出来事で忘年山行は始まった。

間明野 堰堤 アセビのトンネル 黒岳と雁ヶ腹摺山
 
Hさんと共に高尾の駅に降り立つと、8時44分発の小淵沢行きが入線していたが、予定は9時5分発大月行きなので皆を待つ。ホームは風も無く、とても12月中旬とは思えないポカポカ陽気だ。この冬はエルニーニョ現象による暖冬で冬晴れもほとんどなく、今週も昨日まで雨や曇りの日が続いていたのだが、今日は久々の好天に恵まれた。全くYACの山行は晴天率が高い。皆日頃の行いが余程素晴らしいのだろう。 今回は福岡から逆単身赴任したばかりのY氏が初参加、他常連全員が揃って総勢7名である。久々の「若い」新人の出現に皆テンションが上がっている。ガラガラに空いた電車の車窓には一寸見慣れない光景が展開。地上付近はガスっているのに、上空は雲一つない青空が広がっているのだ。 山奥なら青空の下の朝霧も珍しくないが、市街地に近い所で電車から眺めるのは不思議な感じである。早朝の雨が止んだ所に朝日が当たったせいだろう。一頻り外を眺めて盛り上がる。大月からタクシーで間明野(まみょうの)金山神社を目指す。運転手に確認するとこの辺りも明け方かなり降ったらしい。

10時10分、間明野に着き高度計を650mに合わす。金山神社の少し手前から左に入り、大きな堰堤に向かって舗装された急坂を歩き始める。空はスカッと晴れ上がり穏やかな日和だ。竹林の間を回り込み堰堤の上に出ると、山梨ナンバーの車が3台停めてある。 登山者が先行したのかと思っていたら、その先の林道終点に猟友会の人がいた。熊が出たとかで仲間とトランシーバで連絡を取り合っている。KJ氏によればさっき鉄砲の音がしたそうだが気が付かなかった。黒光りのする大きな銃を間近で見ると余り気持ちの良いものではない。 沢筋のヒノキ林に入る。分岐らしい所で迷っていたら、丁度降りて来た仲間のハンターが道を教えてくれた。 「大久保山ならこっちだよ」 「熊じゃなくて猪だったよ」 「じゃあ、今夜は猪鍋ですね」 「そうだねー」 この辺りは作業道があちこち走っておりルート判断が難しい。小さな枯れ沢を渡り、湿った落葉で埋め尽くされたジグザグ道を行くと3人目の猟師とすれ違った。 「撃たれた猪、年を越せなくて可哀想だね」 「でも鹿や猿、熊、猪とか増え過ぎているからある程度獲るのは仕方ないよ」 10時30分、切目峠に着いた。気温は10度。道標には「標高816m」とあるが実際は760m位だ。その下には明治40年と刻んだ馬頭観音が鎮座。100m程先に分岐があり、ほんの小さな道標に従って右に入る。

ここはうっかりすると直進してしまう恐れがあり、細い枝で通行止めがしてある。(実は二度目に来た時、目印がなかったのでそのまま進んでえらい目に遭った)ヒノキとアセビの幼木がびっしり生えて藪状態の中を行くと、モミの幼木もちらほらする尾根通しの急登となった。 とにかくこの尾根はアセビが猛烈に繁殖してコナラ、リョウブ、イヌシデ、アカマツ、シャラなどおなじみの木々を圧倒している。道を塞ぐ大きなヒノキの倒木を迂回。ハコスラ手前で一本立てる。依然として風は無く、まさに小春日和である。数分でハコスラ(といっても何も表示はない)通過。高度は890m。 道はここから左へほぼ直角に折れて緩やかに下って行く。右手(北面)には木々の間から小金沢連嶺の白谷ヶ丸、黒岳、雁ヶ腹摺山さらに姥子山に至る堂々たる山並みが望める。その麓に大きく広がっているのは桑西(かさい)集落だ。 (帰宅後地図を再確認したら今まで「ハコスラ」と思っていたピークは実は「ツチノオト」だった。ハコスラは標高923mなのでもっと先だ。それにしてもこれらの地名にはどんな由来があるのだろう) 2度ばかり上り下りを繰り返した後、長い急登が始まった。急斜面に落葉が分厚く積もっていてすこぶる滑りやすいので、一歩一歩踏ん張らねばならず、しかもそれが延々と続くのでかなり足に負担が掛かる。 「こんなに急だったかなー」 「4年前の正月は雪が多くて大変だったという印象しかないね」

胸突き坂滑る落葉に難渋す

やや傾斜が落ちたが相変わらずアセビの林が続いており、冬枯れの木々の中で鮮やかな緑が際立つ。何度も下るので高度が上がらず、いつまで経っても南面のクラコ山(標高1037m)が低くならない。短い痩せ尾根を過ぎると再び急登である。気温は12度まで上がって背中が汗ばんで来た。登るに連れて北面の黒岳〜雁ヶ腹摺山の稜線が益々立派に聳えて来る。 「この木は何かなー?」 樹皮がブナのようにツルッとして小さな皮目があり、幹が真っ直ぐに伸びたスマートな木だ。図鑑を調べたら樹高20mになるというコシアブラらしい。1000m地点で2度目の休憩。少し雲が広がって来た。 「うわー!このミズナラすごいねー」 「隣のアセビも大きいよ」 道の行く手に幹が何本にも分かれた巨大なミズナラが現れ、感嘆の声が上がる。胸高の幹径は優に1mを超えており、枝を四方に伸ばして空を覆う様はこの山の主のよう。すぐ脇に、寄り添うように立つアセビも枝を大きく左右に広げて随分立派だ。

年忘れの宴 全員勢揃い ミズナラの巨木 緑鮮やかなアセビ 冬木立
 
左が開けて南面の山並みが見えた。 丹沢の大室山から御正体、三つ峠山そして雲間から覗く真っ白な富士山の姿を確認。 斜度がようやく緩やかになって尾根の幅が広がり、落葉で道が判りづらくなる。どこを歩いてもいいような感じだが右へ寄り過ぎない方が良い。12時30分、何とか平坦な大久保山の南の肩に着いた。いつの間にか空は一面白く曇っている。 ここは標高1190mなので、山頂まではまだ50mばかり登らねばならない。しかし、真面目にピークを目指したのはY氏ただ一人。他の連中はこっちが大事とばかりに、シートを広げて宴会の準備に大童。慣れたもので皆手際がいい。Hさん手作りの定番レンコンピリ辛炒めを手早く温めてビールで乾杯。年忘れの開宴である。 ウルメイワシを炙り、タマネギ/コンビーフ/葺き味噌炒め、タマネギ/ベーコン炒めと続く。果ては「鶏のカシューナッツ炒め」もどき「柿の種/焼き鳥炒め」なる珍妙な新メニューも飛び出した。海苔餅と紅茶で仕上げて終宴撤収。14時10分、写真を撮って下り始める。

空はすっかり厚い雲に覆われてしまい、気温は9度まで下がってやや肌寒い。今日はここまでハンター以外誰にも遭っていないが、これから登って来る人はいないだろうだから、今回もまた貸切の山となりそうだ。 ミズナラとアセビの巨木まで下ると、そのすぐ下にモミの巨木もあった。15時過ぎ、950m地点で一休み。15時30分、ハコスラ(ほんとはツチノオト)を過ぎる頃、クラコ山に日が落ちて薄暗くなって来た。15時50分、切目峠を通過。 無事終り掛けた忘年山行だったが、最後に波乱が待っていた。疲れて遅れ気味だったHさんが堰堤の直前で転倒して、左足ふくらはぎを傷めたのだ。 かなり痛むらしく一人で立ち上がれない。肉離れのようだ。Y氏と二人で付き添ってゆっくり下る。何とか堰堤の下まで降りてタクシーに迎えに来てもらう。非常用に常備しているサポーターを着けてもらうと多少ましなようだ。それにしても、大事故にならなくてよかった。 このアクシデントにもかかわらず、帰途の車内では、空いているのを幸いウィスキーの残りを分け合う懲りない面々であった。