壇香梅咲く宮路山(1112m)
 
日 時:2004年3月13日(土)
天 気:快晴、気温高し
行 程:930大月IC―955,1005用沢集落―1020林道終点―1055,1105715m峰付近―1150,1200960m地点―1230,1415宮路山―1510,1515715m峰―1525用沢分岐―1550用沢

ルート断面図とルート図
百蔵山断面図 百蔵山ルート図
カシミール3Dにて作成しています

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中央道を大月ICで降り、先月百蔵山の帰りに歩いたばかりの猿橋駅付近を通過。葛野川沿いに北上してえらく狭い道を抜け用沢部落に到着。ここの標高は495m。天気は快晴だがやや霞んでおり気温は14度、風もなく歩けば汗ばむ陽気である。小さな橋の脇に車を停めたものの道標が見当たらないので畑仕事のおばあさんに道を尋ねる。今回は大岱山やセーメーバンに連なる稜線の一角を占める宮地山を目指す。これまた25000図に名のない地味な山である。多分道標もなくルートも不明瞭な我々好みの藪山だろう。標高は低いが等高線は詰まっているのでかなりの急登が待っているはず。

例年なら多少の雪が残っているだろうがこの所の陽気では雪のかけらもないだろう。牛糞の臭い漂う山間のほんの数戸しかない集落を東に向かって歩き始めると、土留めの擁壁の上に二十三夜塔などの石塔がいくつか並んでいた。杉林を抜けると南側が開け、左右を霞む山並に挟まれた谷間ののどかな風景が一杯に広がった。「これはいいねー。絵になるね。下りたらここで二次会しようよ」Sさんが感に堪えたように大声を上げる。梅が咲き、日本の原風景のような淡い色彩の風情豊かな山里の景観にしばし見とれる。農家の庭先を縫って狭い路地のような道を進むと大きな犬にけたたましく吼えられた。道を挟んで犬小屋の反対側には古びた牛小屋があり、中をのぞくと乳牛が3頭ほど寝そべっていた。

隣には豚小屋もある。土蔵や納屋は朽ち果てて傾き今にも倒れそう。寂れた山村の厳しい生活がうかがわれる。その先の道路下には山のような牛糞が捨てられており独特の臭いが充満している。アスファルトがはがれたり半分土砂に埋まってとても車が通れそうにない舗装路が尽きるとボロボロの廃車が3台放置されていた。ルートは地蔵堂から登って来た道と合流しており、ここで左に折れて尾根通しの山道となった。すぐ上には小さなブルドーザも捨ててある。ヒノキの植林だが手入れが悪く汚い。モミが随分たくさん入り込んでおり、足元にはイタヤカエデの大きな落葉が目立つ。気温は11度まで下がった。
 
715m峰付近 宮路山山頂 山神大権現
 
ヒノキの森に毎度おなじみのシャラ、ウダイカンバ、ウリカエデ、イヌシデ、アカマツ等が混じり出した。幹が刺だらけの見慣れない樹があり。「これは何かな?」「サイカチですよ」K博士が即答する。中継用と思われるテレビのアンテナがあったが半分倒れており役に立っているとは思えない。高さ10cm位のアセビの幼木がそこら中に生えている。715m峰付近で1本立て、先月シャリバテしたのに懲りて持参したバナナを食す。その先に動物の大きな黒い糞があり、大量のギンナンの殻も散乱している。「この辺にクマはいないだろうからイノシシかな?」

ヤセ尾根の急な登りとなる。木々を通して左手の谷向こうにはセーメーバンへの尾根が伸びている。右手のもっこりした山はオゴシ山というらしい。急斜面にもかかわらずアカマツやモミの大木が多い。中には直径1m近い巨大モミが大きく枝を広げている。「ヒノキの葉が枯れているね」「これは枯れてるんじゃなくて若葉ですよ」なるほどよく見ると表面がピカピカ光って瑞々しい。ヒノキの若葉が紅くなるのは今まで気が付かなかった。まだ3月なのにもう新葉が出ているのか。左へ下る分岐あり、大月市が立てた《用沢》と書いた真新しい道標があった。(同じデザインの白い道標は先月の百蔵山でも見掛けた)ここから直接用沢部落へ下れるらしい。

   照り映える 檜の若葉も 風に揺れ

  やや大型で赤茶色の羽に黒い斑点のある蝶が岩の上で羽を休めていた。「こんな蝶は見たことないな」「ヒオドシチョウですよ」K氏は何でもよく知っている。後で確認すると正解だった。《ヒオドシ》とは《緋縅の鎧》のヒオドシである。そういえば鎧の模様のようにも見える。K氏のデジカメには収まったが、Tさんがカメラを構えると風に吹き飛ばされたように舞い上がってしまった。「なんだ俺には冷たいなー」ヤマガラがややのんびりとツツビー、ツツビーを繰り返している。このルート少しヤブっぽいが要所にはテープがあって思ったより判り易く、道も歩き易い。まあ迷いそうな所はたくさんあるので経験者向きのルートではある。高度が上がってミズナラ登場。時々左を巻く部分もあるが、ほとんど尾根伝いの一本調子の登り。

日当たりの良い場所では既に花開いたダンコウバイが次々に現れて早春の雰囲気を漂わせている。大きなアセビが所々にある以外は周囲の木々が全て冬姿なので小さな黄色が遠目にもよく目立つ。「今日の主役はダンコウバイだな」尾根を渡る風が冷たい。12時前、960m付近で2本目を立てる。急斜面に2m位の大岩が樹にもたれるように引っ掛かっていた。「この樹が枯れたら転がっていくんじゃないか?」腰を上げると同時に奈良子の里から正午の鐘の音が風に乗って斜面を上がって来た。 立ち止まっていられない位の急斜面が続く。最大斜度は35度位ありそうだ。尾根の右はヒノキ林だが左はほとんどミズナラばかりになった。しばらく行くとようやく斜度が落ちた。この辺りから上部はほぼミズナラの純林である。新緑の頃はさぞかし華やかだろう。《山神大権現》というまだ新しい小さな石碑あり。その先でルートは左に折れ、わずかに下って少し登り返すと山頂だった。

急な下り もちろん先客はいない。昭文社の地図では《宮地山》となっているが、大月市作成の道標の表記は《宮路山》とある。この方が感じがいい。角が欠けてしまった三角点のある平らな広場は展望はないものの、冬姿のミズナラに囲まれて実に静かでいい雰囲気である。早速、落葉の上にシートを広げる。フワフワして暖かく快適だ。空には薄い雲が掛かって来たが、風もなく絶好の宴会日和。「さあ、まずビールで乾杯しようよ」オニオンスライス、玉ねぎコンビーフ炒めなど今日も新メニューが続々登場。そして定番の野沢菜ベーコン炒め。メインディッシュはゆで卵と野沢菜、もち入りの雑煮だ。どんどん腹に収まっていく。

全員参加の調理で盛り上がった頃、単独の若い男性がやって来て少し離れた倒木に座った。「大岱山からですか?」「いえ、セーメーバンから回って来ました」「すみませんライター貸してもらえませんか」 一服するとすぐ用沢の方へ下りていった。「今日は誰にも遭わないと思ったのに」「珍しく若い人が来ましたね」1時間半の宴を切り上げ、元来た道を下り始める。埃っぽい急坂を慎重に下る。アセビの樹の天辺に花が咲いているのが見える。今頃咲くなんて早過ぎる気がするが。715m峰で再び休憩。

そこから10分程下ると用沢分岐に着いた。同じ道ではつまらないので右の用沢に直接下る道を選ぶ。またもやテレビ中継用アンテナあり。ここのも倒れていた。その下には孟宗竹の大きな林が広がっていた。全く手入れの跡はないが、直径が優に10cmを越す見事な竹がびっしりと密生して昼なお暗い。これだけ立派な竹がたくさんあるのだから、ちゃんと手入れすればタケノコや竹細工などで村興し出来そうなものだが老人ばかりで人手がないのだろう。何度かジグザグを繰り返すと家の屋根が見え始めた。皆気分良く用沢部落に帰着したのは16時5分前。展望はなかったが、ダンコウバイに春を感じて静かな山を満喫出来た。

ここで今日の山行もこの文章も終わる筈だったのだが、とんでもない延長戦が待っていた。「さて車の鍵は」とザックを探すと「あれー??ない!!!!」一瞬血の気が引く。皆心配して寄って来る。ポケットもザックも中身を全部出して点検したがやっぱりない。雨蓋に入れたはずだがどこかで落としたらしい。休んだ場所か?山頂か?仕方ないので探しに行くことにする。K氏が同行してくれるので心強い。最初に休んだ時、雨蓋からバナナを取り出したからその時落ちたかもしれない。そこにあれば早く帰れるなと思いながら歩を早める。1本目で休んだ場所まで30分で到着。念入りに探すが駄目。残念!2本目の休憩ではザックの雨蓋は開けてないからあとは山頂しかない。

荷をかついで登り2時間半、下り1時間半だったから空身では2時間半位で往復出来るだろう。ヘッドランプも置いて来たから何とか暗くなる前に下りねば。息切れもせず、意外と足が軽いので急坂も一気に登る。太陽が山影に落ちて気温は8度まで下がった。いつの間にか斜度が落ちて《山神大権現》を通過。緩やかな斜面を駆け上がり17時10分山頂到着。「あってくれよー」祈るような気持ちで、落葉で埋まった宴会場の辺りを探す。しかし、ざっと見渡した所何も見当たらない。「あれー、マイッタナー」失望感が深まる。どこか別の場所で落としたのだろうか?ここになかったら終わりだ。皆に大迷惑を掛けてしまう。「さっきの青年が拾ってどこかに届けたのかな?」「いやー、そんな事はないだろう」 自問自答する。夕暮れも迫ってくるし、焦る気持ちを抑えながら慎重に落ち葉を掻き分ける。時間が凍り付く。どれ位探していただろう。実際には1分位だろうが随分長く感じた。

「もう駄目かな」あきらめかけたその瞬間、落ち葉の中に「キラッ」と光るものを見つけた。急いで落ち葉を払うとキーホルダーの金属のワッカ、その先にキーが隠れていた。「うわー、よかったー!!!助かったー!!!」ほっとすると共にうれしさがこみ上げる。「あった。あった」丁度登りついたK氏に大声で告げ、すぐ下り始める。気分が楽になったので足の動きが一段と軽快だ。あっという間に急坂を下り、何度かジグザグを切ると715m峰。すぐ用沢分岐そしてTVアンテナを通過。空身だと飛ばしても膝を傷めることはないようだ。ほとんど真っ暗になった孟宗竹の密林を駆け抜けながら二人して大声を上げる。「ヤッホー」「あったぞー」

17時45分、まだ充分明るい用沢部落に帰着。下山直後に再び登頂するという前代未聞の2回登山をやってしまった。気合を入れると火事場の馬鹿力が出るらしく、休まなくてもほとんど疲れを感じなかった。とても自慢できた話ではないが、前回の百蔵山ではヘロヘロに疲れてしまいやや自信喪失気味だったから、標高差620m・往復約4kmを1時間45分で往復出来たのはちょっぴり自信回復ではある。(しかし、この後4〜5日は太腿の筋肉痛がひどかった)もっとも、運良く見つかったからいいようなものの、なかったらえらく面倒なことになる所だった。車のキーは厳重に仕舞わないと駄目だと深く反省。それにしても寒空で2時間近く待たせてしまってほんとに申し訳なかった。しかし、皆は文句も言わず労わってくれた。大チョンボのお陰で印象深い山行になったが、当分の間ネタにされることは覚悟せねばなるまい。

   キー忘れ 二度登るなり 宮路山