山旅1974年

正月合宿/五竜岳〜唐松岳縦走(1973.12.29〜1974.1.4)


【ピッケル、アイゼン使用】
[目的]
余裕をみた計画ではあるが、今年は気象条件が悪く唐松までの縦走が無理な場合、遠見尾根を下山。目的を五竜岳山頂1本に絞る。
                        CL 磯貝記
12/29 2230新宿
12/30 545,720神城(雪、風速2m)―800遠見スキー場―915ゴンドラ地蔵平駅―945,1000遠見小屋―1100,11102本目―1200,1215小遠見―1305,1315中遠見―1405大遠見―1600幕営地―2000消灯 気温マイナス5度
[遠見スキー場ゴンドラ荷物共500円]

(コースタイムは井形手帳によるので若干差がある)

朝食を取り7時に神城駅を出発。テレキャビン出発口に向かう。小雪。9時のキャビンに乗り、終着口に9時10分。ここで冬装備を付け、すぐに出発。9時35分遠見小屋。軽食を取り10時出発。まわりは登山者が20パーティー位いるようだ。このため、トレースは完全なのでアイゼン着けずに歩く。

風が吹いて時々地吹雪となって視界を悪くする。積雪は歩くと、膝から股まで潜るが、先行隊のラッセルで踏み固められている。12時に小遠見の巻き道で小休止。雪の合間にこれからのルートを見る。13時中遠見付近を通過。この頃より夜行で来た身に八貫目の荷が段々応え出して来る。14時、大遠見。この辺りは広い雪原となっているので、ここに天幕を張る事にする。[ありんこ掲載山行報告](佐藤記)

12/31 345起床(マイナス11度雪やや風あり)750出発(晴)―830,900西遠見―940,950白岳稜線―1045白岳ピーク―1100,1145五竜山荘―1245,1310五竜ピーク―1340五竜山荘―2200消灯

3時40分起床。7時55分大遠見を出発。朝日が顔を出していて気持ち良し。五竜はかすかに見える。ルートは昨日と同様ラッセルがしてあるので非常に楽である。8時15分西遠見の池付近を通過。8時30分西遠見最低鞍部でアイゼン取り付ける。この頃より、北西の風が強くなる。白岳への登りは急である。しかし、どんどん高度が稼げるので気持ち良し。信州側は雪庇が発達している。10時45分白岳に立つ。流石に稜線のせいか、風が強く、膚を突き刺すようだ。

10時55分五竜山荘。小屋は半分雪に埋まっている。ここを今日の幕営地として荷物をデポし、五竜岳アタックに向かう。西側をトラバースして途中より稜線伝いに進む。稜線は風で雪が飛ばされて、岩が所々に露出している。12時45分、遂に五竜岳に足を置く。ガスの為、視界なし。気温マイナス14度。13時10分下山開始。途中吹かれ、視界悪くなったが、トレースがはっきりしていて安心。13時40分五竜山荘に帰着。[ありんこ掲載山行報告](佐藤記)

1/1 停滞(風雪強しマイナス13度)1530(風弱まり雪小降り)

[年頭所感] 1974/1/1 PM3:00 於:五竜山荘
遂に今年は25歳になる。本格的に山を始めて3年、そろそろ一人前の山屋になりつつあるが、体力的・年齢的限界を感じないでもない。当面の目標 冬の北鎌への第1ステップが今次五竜―唐松合宿であり、来年は第2ステップ鹿島槍の冬期登頂に焦点を置いて今年度の山行を充実させたい。 12月31日12時45分 五竜ピークに立つ。空も山も見分けがつかない。全部真っ白である。ほんの一瞬だったが涙が出そうになる。こんな登頂の感動を味わうのは絶えて無かったことだ。最近の山行は慣れというか惰性に流れ、中味が薄い感があってよろしくない。初心忘るべからず!! 今更先鋭的登攀も出来ずエベレストへ行けるわけでもないから、自分なりに岩でも沢でも個性的な山登りをしたい。今年の目標 2月八ツ。3月甲斐駒。4月上州武尊。5月剣。8月後立縦走。10月鹿島槍偵察。12月本番。

1/2 400起床―700出発(地吹雪)―8201本目―10102本目―1030,1100唐松山荘(突然快晴)―1115,1150唐松ピーク―1205,1230唐松山荘―丸山(風止まる)―1400幕営地―マイナス5度 (1600マイナス8度)

7時、夜明けと共に出発。凍てた稜線を踏みしめ白岳ピークに達するが何も見えない。雪庇を警戒して稜線を外れ、クラストした雪に半分埋もれたハイマツ帯を下り始める。昨日来の風雪は、地吹雪に変わっているが北西の季節風は依然強く、視界は50mもない。前日12時の天気図によれば、間もなく回復するはずだが、11月偵察の際も悪天にはばまれて果たさなかった縦走だけに不安が残る。目出帽が凍るのはともかく、ゴーグルに着氷して前が見にくいのには弱る。安物に腹を立てるが後の祭り。

ゴーグルを外すと今度は眼鏡が凍ってどうしようもない。最低コル手前で一本立て、懐中より今朝焼いた餅を取り出しほおばる。かすかに暖かい。いよいよ、唐松目指しての登りとなる。大黒岳の急登。最大斜度50度はあろうかという雪壁である。幸いにしてトレースがあり、ラッセルは免れたものの、背中のキスリングがこたえる。耳を刺す寒風の中、歩き続けること1時間半。牛首岳岩稜帯の行けども果て無く思える登りに腹はペコペコ、いい加減ばて二本目を立てる。

ザック毎ひっくり返って、手当たり次第に胃袋へ詰め込んでいると、一瞬ガスが切れ、すぐ下に青いものが見えた。まさしく唐松山荘である。まるで、おとぎの国の御殿のように神々しく見えたが、この時のうれしさは忘れられない。短いけれども〈北アルプス〉の冬期縦走に成功したのだから。雪は強風に飛び去り、広がり行く青空と、はるか目の下へと続く八方尾根は気分爽快。これだから冬山は止められない。足取りも軽く山荘へ駆け下り、荷物をデポ。唐松ピークへ。今は雲一つない大空の下、見渡す限り白銀の世界である。

満ち足りた気持ちで下り始める。不帰東面、氷と岩と太陽が織りなす強烈なコントラストが印象的。丸山を過ぎると風も無く、暑いくらいだ。下の斜面に快適な幕営地があった。[ありんこ掲載山行報告](井形記)

1/3  700起床(マイナス7度地吹雪時々雪)―1000出発―1010第3ケルン―1030第2ケルン―1100第1ケルン―1200,1225兎平―1315名木山 

そろそろ日の出かと、天幕から顔を出した途端、青空をバックに白馬三山が鮮やかなピンクに染まった。本日は快晴である。のんびりと撤収して10時出発。眼下に広がる雲海に架けた橋のような八方尾根を行く。天国に遊ぶ心地。下るのがもったいなくて、なるべくゆっくり歩く。第3、第2、第1ケルンに導かれ、雲海の中へ沈んでゆく。ガスの彼方から、スピーカーが喚きちらすと思えば兎平であった。

これより、リーゼンを一気にグリで飛ばすつもりだったが、ベタ雪で傾斜も緩く潜るばかり。満足に滑ったのは名木山の壁のみ。それにしても、リフトに行列するスキーヤーには想像もつかないだろう。この雲上の胸一杯の青空は。[ありんこ掲載山行報告](井形記)

[年頭所感]は五竜山荘停滞時に書き留めたものだが、25歳で〈年齢的限界〉を感じるのはいささか早過ぎる。しかし、冬山や岩登りをやれる年齢には限りがあり、行きたい山やルートはいくらでもあるのに、1シーズンに行ける山は限られているので、かなり焦りを感じていたことは確かだ。

冬山で吹雪かれる度に、ゴーグルと眼鏡が曇ってしまい視界が遮られて歩きにくく、いつも困っていた。今でもゲレンデスキーで汗をかくとゴーグルの曇りに悩まされている。誰か曇らないゴーグルを開発してくれないものだろうか?当時、山の会では餅を焼いて保温袋に入れ、懐炉兼用の行動食にするのが習慣だった。吹雪の中で感じたほんわかとした暖かさが忘れられない。
 



月例山行/西丹沢/ザ ンザ洞(1974.2.9〜11)


【ピッケル、アイゼン、ザイル、アイスバイル使用】

2/9 快晴 720登戸―820,920新松田―1000,1115神縄―1125玄倉―1230,12501本目―1345 ドウガク出合―1425,1515ユーシンロッジ―1600ユーシン下降点―1700幕営地(二股と出合の中間点)―2100消灯。

マイナス6度。寒くて目が覚める。玄倉からユーシンまでの道は結構長い。積雪は10〜20cm、誰も入っていない道は気分が良い。ユーシンを過ぎ沢に入る。アイゼンを着けたものの、岩に当るとガチガチ音を立て、スリップしそうで怖い。アイゼンバンドがすぐに緩み何度も停止。皆に申し訳ない。雪もかなりあり、凍っていた為か、出合までも行けず17時にビバーク。夜、足が冷え寝付けない。2時までうとうとし、それから4時まではとうとう眠れず、明け方でマイナス9度。[ありんこ掲載山行報告](志村記)

2/10 快晴 400起床―645出発―745F1下―950,1020F1上―1100象の鼻―1130四の沢出合―1200F9下―1450F9上―1535,1550キレット―1710巡視小屋―1730ユーシンロッジ(泊)

7時出発。出合から小滝を越えるとすぐにF1。F1の手前でトラバースに失敗、沢に落ちる。まだF1も越えないのにビビるなんて残念で仕方がない。氷瀑登攀をやろうなんて、私のような初心者がこんな所にいてよいものか。

少々恥ずかしい思いである。F1は上下2段で各10m。F1上段は急で、見るからに難しそうである。上部は少しハングしていて、ピンを1本打ち確保する。へずりながら上に出る時に私がもたもたする。手はかじかんでしまい、力は尽き、必死の思いで攀じ登る。F1を越えるのに約2時間。そこからF9の大滝までは小滝が多く、無事通過。20mの大滝は威圧的な大きさで私たちの前に覆いかぶさっている。1ピッチ登った所で、後パーティーが登り出し、私たちは行動中止。ザイルが絡み合ってしまい、不愉快な思いをする。

約3時間の大滝はかなり疲れた。私の手袋は大きかった為、手袋の指の先が凍って、おダンゴになってしまい、手は益々入らなくなる。小さい手袋が欲しいとつくづく思う。ここを過ぎると急に傾斜も強くなり、柔らかい雪の急登はアイゼンも効かず、厳しかった。終了15時35分。 稜線の積雪は20cm位。かなり下の方までアイゼン使用。今日帰る予定であったが遅くなってしまい、ユーシンにて17時ビバーク。[ありんこ掲載山行報告](志村記)

2/11 600起床(快晴マイナス9度)―730ロッジ発―845,8551本目―940,955玄倉―1010神縄―1050新松田

新松田からのタクシー2500円に値上げしたのでバスにする。バス待ち1時間。装備万全で全部直登出来、前回の雪辱果たす。初めて山で誕生日 
 



個人山行/奥秩父/金峰山(1974.2.22〜24)


【ピッケル、アイゼン使用】

2/22 2100新宿―2318,2337甲府―2350韮崎(気温急降下)
2/23 710韮崎―810,835増富温泉―950,1010木賊峠林道分岐―1115,1200みずがき山荘―1300,1315富士見小屋上―1400大日小屋(幕営)
増富温泉を出発する頃、気温が高く前線が近づく気配であった。みずがき山荘あたりでみぞれから小雪となり、富士見小屋を過ぎる頃にはぼたん雪となった。大日小屋で幕営。

2/24  310起床―515出発(快晴)―645,700千代の吹上げ―750金峰山ピーク―835五丈岩―900千代の吹上げ―940,1035大日小屋―1125,1145みずがき山荘―1230,1240林道分岐点―1325,1415増富温泉(曇り)―1525,1540韮崎
金峰山ピークでは南西の風やや強し。1000m付近の雲海に富士山・南アルプスが浮かんでいる。八ヶ岳も良く見える。雪がクラストして気持ちいい。五丈岩でアイゼンのまま登って下りる時滑落6m。怪我なし。増富温泉からの林道は気温高く、だるかった。

[国鉄 恵比寿―韮崎630円/バス 韮崎―増富温泉440円荷物代込み]

97年に久々に金峰山を訪れたとき五丈岩に登ってみたが全く歯が立たなかった。「昔はアイゼン着けたまま軽く登ったのに」と、この時のことを思い出して体力・技術の衰えが情けなかった。 
 



北アルプス/五竜岳(1974.3.14〜18)



春山合宿/丹沢山 〜蛭ヶ岳、背戸の沢他(1974.5.1〜6)


【ザイル使用】
[目的]
本年度の春合宿は3月の遭難事故の教訓を活かし、山登りの基本をもう一度各人が把握し、パーティー登山における意義、種々の問題点の理解を更に深め、以下の講習を具体的に指導することを目的とする。
CL 磯貝記

[訓練内容および講習担当者]
・幕営・生活技術:磯貝、佐藤
・ 登攀技術:磯貝、井形
・ 気象:井形
・ 救急:佐藤
・ 読図:土谷
5/1晴 1043渋沢―1110,1125大倉―1305戸沢出合―BC設営後ザイルワークと救急法の講習―2100消灯
5/2晴 430起床―740BC発―800〜1145モミソ岩にて登攀訓練―1405〜1555戸沢F1全員登攀―BC着―2030消灯 (土谷到着)
5/3晴 400起床―600BC発―715,730新大日―800,825塔の岳―915,955丹沢山―1110,1245蛭ヶ岳―1555BC着(志村到着)
5/4晴 400起床―615BC発
[モミソ沢]:井形、佐藤、諏訪、四辻、志村、横山―645取付―905大滝終了―950,1015大倉尾根
[新茅ノ沢]:磯貝、白数、土谷、植松、君島
(中川、傍島、岡本到着)
5/5晴 430起床―705BC発―
[勘七の沢]:磯貝、佐藤、岡本、志村、横山
[背戸の沢左股]:井形、白数、中川、傍島、君島―1625BC着―2100消灯 
5/6晴 500起床―630BC撤収―745大倉―渋沢

3月の事故を反省して春合宿も雪山を自粛し、丹沢で基本訓練をすることになった。
 



月例山行/白毛門〜巻機山 縦走(1974.5.17〜21)


白毛門〜笠ガ岳1852m〜朝日岳1945m〜大烏帽子山1819m〜柄沢山1900m〜米子頭山1796m〜巻機山1961m

【ピッケル使用】

5/17 2213上野
5/18 250,345土合―445,5001本目(快晴)―555,615独標下―725,800独標上―840,923白毛門―1030,1100笠と朝日のコル―1205朝日岳(幕営) 1600雷
5/19 350起床―610出発(快晴東の風3m10度)―720,742大烏帽子山―845,920檜倉山―1105,1123柄沢山―1225,1308米子頭―1420,1450 1900m点―1510巻機山―1530巻機小屋(幕営)―2400消灯
5/20 500起床―710出発(曇り南東の風5m)―815,830五合目―930,9502本目―1327清水―1423六日町―1745上野

全国的に今年の最高気温となり目茶苦茶に暑かった。大烏帽子山辺りからヤブこきでてこずった。巻機小屋は倒壊していた。
 



個人山行/御神楽岳/湯沢 奥壁第4スラブ(1974.6.7〜9)


【ザイル使用】

6/7 2320上野(佐渡4号)
  6/8 505,605新津―710津川―740,810蝉ヶ平―910林道終点―945,1010湯沢出合―1115二股の上―1200三段滝取付―1245核心部終了―1657,1730奥壁終了点―1920湯沢出合(幕営)
6/9 600起床―720出発―900蝉ヶ平―935八田蟹

快晴で、真夏みたいだった。終了点からの下りはきつかった。あんな一般ルートは初めてだ。


登攀終了後の下りは傾斜もきつく、緊張を強いられるナイフリッジになっており、倒木も多くて大変だった。
 



個人山行/八ヶ岳全縦走 (1974.7.19〜21)


天狗岳2645m〜硫黄岳2742m〜横岳2834m〜赤岳2899m〜権現岳2712m

7/19 2230新宿(アルプス6号)
7/20 244,615茅野―710,800ピラタス駅―810山頂駅―1000,1020麦草峠―1200,1235中山―1355,1405天狗岳―1500夏沢峠―1540ビバーク地点
曇り 少し晴れ間あったが、ガスが出て雨が降ったり止んだり。夕食はラーメン、紅茶。夜中時々雨

7/21 220起床―350出発―435,455硫黄岳―538横岳―640,700赤岳―740ガレ場―830,850キレット小屋―955,1005権現岳―1040青年小屋―1115,1130樹林帯―1230,1340観音平―1540小淵沢
朝食はジフィーズ、味噌汁。快晴だが、雲海の上に前線らしい雲堤あり。御来光はだめ。その後、ガスが出て小雨になった。横岳付近で通算3回目のブロッケン。赤岳を過ぎた下りのガレ場でルートを間違えた。キレット小屋辺りで雨が一時止んだ。 青年小屋からの下りの樹林帯では再び雨強し。小淵沢に着く頃にはまた晴れた。二日間で行動20時間。行程30km。我ながらよく歩いたものだ。縦走もいい。稜線上全面幕営禁止は全くナンセンス。

この時は全盛期で飛ばしに飛ばした。94年版「昭文社エアリアマップ」によればコースタイム合計は19.7時間。健脚でも食事休憩を含めれば2泊3日で30時間は掛かる所を行動19.5時間、実歩行15.7時間。ほとんど休まず、走るように稜線をたどった。 特に硫黄岳〜横岳〜赤岳は鎖場も沢山あり3時間以上掛かるはずだが、ここをノンストップ1時間45分で通過している。お陰で下りで膝を痛めてしまい、この後の山行にもかなり影響した。 稜線上は幕営禁止なので、少し下った斜面にツェルトを張ったが、当時の〈幕営禁止〉は自然保護というより〈山小屋の経営優先〉ではないかと反発していたようだ。
 



夏山合宿/後立山連峰縦走 (1974.8.1〜6)


白馬岳2933m〜唐松岳2696m〜五竜岳2814m〜鹿島槍ヶ岳2888m〜爺ヶ岳2669m〜鳴沢岳2630m〜赤沢岳2677m〜針ノ木岳2820m

【アイゼン使用】

雪渓と岩稜に降り注ぐ太陽が若きエネルギーを燃やす。暑さ、重荷、渇き、苦しい戦いが今始まる。
CL 磯貝記

8/1 2230新宿(アルプス6号)
8/2 513,540白馬―620,720猿倉―825,900白馬尻小屋―955,1020三合雪渓出合―1115,1150大雪渓上端―1240,1325小雪渓上―1405村営頂上宿舎―1515白馬本峰ピーク―村営頂上宿舎横幕営地―2000消灯
朝霧から快晴。混雑でスローペースだが体調はベスト。負荷が軽くて楽チン。大雪渓ではガスで涼しく助かる。白馬ピークから下山中、ブロッケン現象を見た。これで4回目だ。2週前の八ヶ岳で痛めた右膝の関節がまたブレーキになり結構バテた。 明日は大丈夫かな?サポーターを外した方がいいかもしれない。16時の気象通報に依れば、太平洋高気圧の勢力が増しており、当分安定した好天が期待出来る。心配した雷もあさってまで大丈夫みたい。

8/3 200起床―345出発―450日の出―505,525鑓ヶ岳の肩―625,645天狗山荘―810,830不帰キレット―940,1010二峰の肩―1120,1135唐松岳―1150,1200唐松山荘―1325,1340最低コル―1440五竜山荘― 1910消灯
快晴 御来光は杓子の陰で見えず。西風強し。鑓と天狗でまたブロッケンを見た。暑くなってきた。犬が付いてきて消耗。志村バテる。チンタラムードで今日は全くペースが取れずバテてしまった。これはこれで訓練の一つということか。五竜山荘ではガスが掛かる。若干雷。 昨日は村営頂上宿舎でショバ代一人130円を取られたが、また今日も山荘で幕営地を指定してもらって番号札の所に張らないといけないらしい。もう北アルプスの稜線の夏は面白くない。全く白けた。剣沢でも同じかなー?
人為的に幕営地が制限されるのでは幕営山行自体の意味が半減、いや90%減ではないか。小屋泊まりと本質的な差がなくなる。夏の北アにはもう本来の幕営山行の楽しみはない。

8/4 330起床―500出発―555,610五竜岳―725,740 2547m峰手前―905,920キレット小屋―1040,1050鹿島槍北峰直下―1100吊尾根―1110北峰―1155,1223南峰―1325冷池幕営地―1900消灯
今日も快晴。またスローペース。初めてまともで静かな幕営地。やっと落ち着ける感じ。合宿も大半終了した。若干バテた。とは言え先ずは成功であろう。

8/5 200起床―340出発―455爺ヶ岳―520,545種池山荘―655,710岩小屋沢岳―830,845鳴沢岳―950,1005赤沢岳―1115,1120スバリ岳―1200,1225針の木岳―1300,1315針の木小屋―1420,1440針の木雪渓下―1540扇沢―1615,1636大町―1734,2050松本― 8/6 423新宿
ガス時々晴。時々ガスが切れ黒部湖見える。剣は見えない。今日は中々快調なペース。峠泊まりの予定だったが時間が早いので下山する。針の木雪渓ではグリセード。扇沢でタクシーに乗るとどっと疲れが来た。終わったー。松本で風呂に入ってビールを飲み、やっと人心地が着いた。

登山者が多過ぎる以上、幕営地制限は止むを得ないと思うが、静かな場所にテントを張りたいと思っていた当時は随分頭に来たようである。 この頃は体力抜群で疲れを知らなかった。〈さっさと歩かないからかえって疲れるんだ〉という感じだったから、バテてゆっくりしか歩けないメンバーにイライラしたようだ。いたわりの気持ちに欠けていたきらいがある。

 



個人山行/奥秩父/瑞牆山 (1974.8.16〜17)


8/17 030新宿(アルプス54号)―346,415韮崎―マイクロバス―500,535みずがき山荘―610,700富士見小屋―805,815ピーク直下―835,1015瑞牆山―1105,1110富士見小屋―1130みずがき山荘―1200,1230金山下の沢―1340,1345増富―タクシー―1420,1437韮崎―新宿

台風14号が沖縄へ向かっている。天気はくもり。八つの頭はガスの中。金峰は良く見える。南アもガスの中だが鋸の稜線だけが見える。ピークの岩の上で昼寝。久し振りで静かな山歩きを楽しめた。帰りの電車が混んで参った。

[新宿―韮崎 840円、韮崎―山荘 マイクロバス一人1000円、増富―韮崎 タクシー10000円]

 



個人山行/三ツ峠登攀訓練 (1974.8.23〜25)


【ザイル、アブミ使用】

8/23 2100新宿―2224,2237大月―2310三ツ峠
甲府行きの電車は空いていた。夜明け前のアプローチ満天の星。そよ風。気温高く暑い。

8/24 350三ツ峠―450,505だるま石―620八十八大師―640屏風岩ゲレンデ―800登攀開始 【一般ルート(T10分)、懸垂下降、観音(T20分)、クーロアール(S6分)、権兵衛チムニー(T17分)、2P懸垂、昼食と昼寝、草溝(S8分)、第1クラック(ダメ3mだけ)、つる(15分)】山頂でビール。1730終了   Tはトップ、Sはセカンド
朝から快晴。西の風爽やか、秋の気分。久し振りの岩で全然調子出ないが、他には1パーティーのみで全く静か。こんなに空いている三ツ峠は初めて。富士山が朝夕見えたが、雪の無い富士なんて何とかのないコーヒーみたい。 〈つる〉の途中でルートが判らなくなったが後で調べたら完登出来たようだ。八寸バンドの高度感は気持ち良かった。

8/25 5時起床したが雨時々強く停滞。台風14号崩れが接近中。9時散歩。登攀中止。11時30分撤収。三ツ峠13時17分。

 



正月合宿第1次偵察山行/ 早川尾根(1974.9.13〜16)


薬師岳2765m〜観音岳2841m〜甲斐駒2966m

9/13 2100新宿―2320甲府
9/14 くもり 605甲府―715,815夜叉神登山口―910,925夜叉神峠―1020,1030樹林帯―1045,1050杖立峠―1220苺平―1245,1325南御室小屋―1435,1455薬師岳―1525,1535観音岳―1555鳳凰小屋分岐(幕営)―2050消灯
南西の風15〜20m

9/15 くもりのち小雨 350起床―530出発―630,640高嶺直下―650高嶺―730,745白鳳峠―830広河原峠―910,940早川小屋―1105,1125ミヨシ―1205,1225浅夜峰―1320栗沢の頭―1500北沢長衛小屋の上(幕営)―2000消灯 
ルート間違え長衛小屋に出た

9/16 くもりのち霧雨  300起床―515出発―545,555北沢小屋―635仙水峠―655,710尾根―810駒津峰―830,850岩室―940,950甲斐駒ヶ岳―1050,1100七丈小屋―1145五合目小屋―1210,1225黒戸山―1245,1255刃渡り―1335,1347粥餅石―1442,1503竹宇駒ヶ岳神社―1550,1617白須―1755,1915韮崎―2212立川
三日間とも天気が悪く見通しが利かないため充分偵察出来なかった。栗沢の頭の下りルートを間違えたのはドジ。7月の八ツ縦走で痛めた膝の調子は相変わらずである。一寸疲れがたまるとまた痛くなる。浅夜から栗沢の頭までガスがひどく、風も強くて若干緊張。 久し振りで山らしかった。鳳凰と甲斐駒ではやはり山格が全然違う。甲斐駒はでかい。冬の早川尾根は厳しそうである。今から楽しみだ。

 



個人山行/富士山 (1974.9.21〜22)


(吉田口五合目からピストン)

9/21 2100新宿―2230,2240大月―2350河口湖
9/22 430河口湖―530,610吉田口五合目―710,715六合目―820,832元祖八合目―920,930八合目富士山ホテル―1020九合目―1030,1110富士山神社―1140,1155剣が峰―1225富士山神社―1315八合目富士山ホテル―1330,1355七合目―1520五合目―河口湖
小雨のちみぞれ 思ったより寒く、人はほとんどいない。微風、視界良好。登るにつれて雨はみぞれになり、あられになり、山頂では雪に変わった。ゆっくりし過ぎて最終バスに間に合わず、富士急の観光バスに乗せてもらった。

学生時代の友人と夏山のつもりで気楽に登った初めての富士山はすっかり冬山で震え上がった。風が無かったから良かったが、ろくな防寒具も無しに一寸無茶だった。雪の中で上半身裸になってはしゃいでいる写真が残っている。
山頂でのんびりし過ぎてバスがなくなり、吉田口五合目の駐車場で片端から自家用車に頼んだが、汚い男3人組なんて誰も乗せてくれるはずもなく、途方に暮れてしまった。最後は藤田が茶店で休んでいた観光バスの運転手に掛け合って、河口湖まで乗せてもらった。
高松の橋本テーラーという洋服屋の社員旅行で、おじさん、おばさん達からマイクを向けられて沢山歌を歌わされたのを覚えている。カラオケのない時代だから歌詞カードを見ながら歌った。

 



個人山行/谷川岳/一ノ倉沢 南稜・六ルンゼ(1974.10.4〜6)


【ザイル、アブミ使用】

10/4 2125上野―2320,048高崎
10/5 250,340土合―440,630一ノ倉沢出合(仮眠)―745南稜テラス―830登攀開始―1405終了―1500草付き―1600懸垂下降開始―1830ビバーク決定
くもりのち雨のちみぞれ 北西の風5m。土合から1時間で一ノ倉沢出合。ここで1時間程仮眠して出発。8時前、南稜テラスから取り付く。1P目は15mのフェースから6mのチムニー。2Pはホールドの細かいフェース25mで高度感出る。 傾斜の緩い草付きを左上して六ルンゼ右股へ。チムニー2P/60mで終了。登攀タイム5時間30分。草付きを登るつもりだったが、15時頃より雨からみぞれになって危険なので中止し、懸垂下降で下山と決定。横山がザックを落してしまう。
2時間掛けて3P下ったが、南稜テラスの20m上で濡れたザイルが回収出来なくなり、日が暮れたのでザイルで確保したままビバーク。レスキューシートをかぶる。メタを少しずつ燃やして暖を採る。

10/6 515回収作業開始―830南稜テラス―1000,1150一ノ倉沢出合―1250,1512土合―1625,48新前橋―1905上野
快晴 登り返して何度もザイル回収を試みたが結局回収出来ず、後続のパーティーに外してもらう。出合の近くの岩の上で昼寝。朝の寒さがうそのように暖かく、最高に幸せ。

一ノ倉でのまともな登攀はこの時限りで、上級ルートへは行かなかった。横山が落としたザックを回収出来たのか記憶にない。

 



個人山行/穂高岳 縦走(1974.10.9〜13)


岳沢〜前穂高岳3090m〜奥穂高岳3192m〜涸沢岳3103m〜北穂高岳3109m〜涸沢〜徳本峠

【アイゼン使用】
10/9 2330新宿(アルプス53号)
10/10 450,528松本―550,725新島々―835,50上高地―950,10051本目―1135岳沢(幕営)―1835消灯
くもりのち時々晴 新島々は大混雑でバス待ち1時間以上。明神、前穂から奥穂に掛けてはうっすらと雪化粧。西穂はなし。

10/11 250起床―500出発―600,20梯子場―740分岐―805,830前穂高岳―900,905分岐―1005,1020吊尾根―1100,1107奥穂高岳―1207,1250白出コル―1520,1545北穂手前―1648北穂高岳―1705幕営地―2130消灯
快晴無風 奥穂の稜線は大混雑。渋滞でピークから白出コルまで1時間も掛かった。

10/12 600起床―905出発―945,1000南稜―1050,1100涸沢―1155屏風吊り橋―1205,1255横尾岩小屋―1310横尾―1355,1400徳沢園―1440明神―1457,1510白沢―1620,1630峠直下―1635徳本峠―1650幕営地―1950消灯
高曇り無風 北穂から南稜を下り始めた所で志村滑落。4m下の段で止って事無きを得た。徳本峠の登りは意外ときつかった。夕方から小雨。

10/13 330起床―520出発―640,655岩魚留小屋―815,825二股―920,935発電所―1030新島々―松本―新宿
小雨 雨だが寒くはない。すごく歩き易くて楽しい山道。こんなきれいな所はやっぱり彼女と二人で来るべきだな。往きの夜行で風邪を引いて調子が悪い。

初日、午前中に行動打切り。テントを張って昼寝。当初の計画では1日目に奥穂を越えて白出のコルまで行き、2日目は槍まで、3日目に東鎌尾根から大天井、常念、蝶ヶ岳まで、4日目に横尾経由上高地へ下山するという強行日程だった。 現地で大幅に予定変更しているが、理由は覚えていない。誰かがバテたのだろうか。バス待ちで嫌になったのだろうか。
北穂からの下りで志村さんが滑落した時は胆を冷やした。岩稜の新雪で足を滑らせたのだが、全く確保も出来ず、情けないことに為す術も無くただ見ているだけだった。止って本当に良かった。アイゼンを着けていたはずだがはっきりしない。

 



個人山行/浅草岳 (1974.10.25〜27)


大白川〜南岳〜鬼ヶ面山〜浅草岳1586m〜五味沢

10/25 2213上野
10/26 405,536小出―623,640大白川―740,755末沢発電所の先―855,910毛猛沢出合―935,940桑原沢出合―1025登山口―1205,1300東電中継所―1350,1405南岳―1430鬼が面山―1508,1525ムジナ沢カッチ手前―1508,1525前岳(幕営)―1830消灯
曇りのち快晴 大白川から只見線沿いの国道252号を延々と歩く。登山口の辺りで道を間違え30分ロス。紅葉は素晴らしくいかにも〈日本の山〉という感じ。道路がなければもっといいが。風はなく暖かい。とても静かで、東京電力のパトロールときのこ狩り以外は、単独行と10人位の団体の2パーティーのみ。
鬼が面山の登降はすごくしんどかった。国道を13km歩いたせいか。冬はかなり厳しそうである。鬼が面東面の大岩壁は圧倒的な迫力である。高度差500m、幅2km位はありそう。オーバーハングと垂直の壁。岩は脆そうだし、ビレーテラスが少ないので非常に難しそうだ。

10/27  520起床―645出発―730尾根取付(林道)―810,830三合目―925林道分岐点―1000,1020五味沢―1100大白川付近―1140,1352小出―新前橋―1900上野
小雨 浅草岳は五味沢から山頂まで正に全山紅葉で素晴らしい。三合目付近で再び道を失う。右足首の右側が靴擦れして痛い。4時間の国道・林道歩きのせいか、骨に響く。すごく腫れているみたいでかなり利いた。O脚はハンデになるなあ。 車道用に地下足袋か浅くて軽い靴を買うべきだ。下山してから大白川付近で新潟RCC同人(NAC)の人の車に拾われて小出まで送ってもらった。

山頂から五味沢への下りは正に全山紅葉。微妙に色合いが異なる紅葉や黄葉が針葉樹の緑と溶け合って錦を織り成す様は、その後の数多い山でも経験したことがない程素晴らしかったという強烈な印象がある。 2000年秋に久し振りで再訪したが、桜ゾネまで車で上がれる浅草岳は観光地と化しており、昔日の面影はなかった。ただ、人のいない下半部の紅葉は、盛りを過ぎていたものの中々見事だった。

 



個人山行/西丹沢 /ザンザ洞(1974.11.2〜4)


【ザイル使用】

11/2 登戸―2320新松田―2343松田―2355山北
11/3 曇り時々晴 700山北―730玄倉―855,900仏岩トンネル―920同角出合―950,1015ユーシンロッジ―1040,1100沢下降点―1140ユーシン沢出合―1205,1225ザンザ洞出合―1240F1下―1350,1410F2下―1430,1435F2上―1505,1520F7下―1550F9下―1630F9上
11/4 400起床―555出発―715,755ユーシン上休憩所―810ユーシンロッジ―855,915神縄―1000新松田―登戸
山北駅で仮眠。F1捲く。F2〜F6は直登。F7捲く。F9(大棚)の上で幕営。落葉を敷き詰めてすごく快適な天幕、幸せ。無風。夜中、明るい月夜。4日はくもりのち快晴。ロッジから車に乗せてもらう。
[武蔵新城―新松田310円、松田―山北 御殿場線50円、山北―玄倉 バス240円 神縄―新松田 バス280円]

 



正月合宿第2次 偵察山行/早川尾根(1974.11.8〜11)


早川尾根縦走(夜叉神峠〜薬師岳2765m〜観音岳2841m〜栗沢の頭〜北沢峠〜戸台)

11/8 2100新宿―2318,2350甲府
11/9 030夜叉神峠登山口―600起床―645出発―740,755夜叉神峠―855,908樹林帯―1006,1025苺平の下―1107苺平―1132,1157南御室小屋―1325,1340薬師岳―1400観音岳―1530アカヌケの頭―1555幕営地―1915消灯
高曇り 5パーティー入ったが、南御室小屋からトップになった。南御室小屋は冬も使えそうだ。夕方一時あられが降った。冬天快適。
11/10 340起床―530出発―655,710白鳳峠―805広河原峠―835,905早川小屋―1025,1050ミヨシ―1140,1150アサヨの頭直下―1245,1310栗沢の頭―1345仙水峠―1410,1420北沢小屋―1440幕営地―1915消灯

快晴北西風強し 北岳バットレス中央稜がばっちり見える。早川小屋?にてB隊との集中成功。丹沢以外では初めてだ。甲斐駒が初めて見えた。アサヨの頭直下から栗沢の頭付近若干やばい。今日はさすがに空いていた。北沢小屋の下で単独行者に遭ったのみ。我々以外に3パーティー位が偵察している模様。夕方の交信は不能。

11/11 515起床―710出発―830,850丹渓山荘―940,1030三ツ石―1135,1312戸台―1430伊那北―新宿
昨日に続いて全く雲一つない青空。しかも風はほとんどなくのんびり歩く。いい気分。「12時までに戸台に着けばいいよ」三ツ石から戸台までフリーとして、ゆっくりトカゲする。風に舞う落葉が素敵。天気は最高、人もいなくて気分爽快。

[甲府―夜叉神峠口タクシー6人7000円]

この時の〈自由行動〉はよく覚えている。道も分っていることだし、バスの時間も余裕があるので偶には一人で歩きたいと、CLの特権で我がままを言わせてもらい、数分おきに一人づつ出発させて皆に単独行の気分を味わってもらった。爽やかな秋晴れの河原をのんびり歩いて感傷に浸ったものだ。

 



雪上訓練山行/谷川岳/ 西黒尾根(1974.11.22〜24)


【ピッケル、アイゼン、ザイル、ワカン使用】

11/22 2215上野
8時過ぎ寮を出発。ピッケルを入れて24kg。とうとう100回記念である。天気は余り期待出来ないが何とかなるだろう。
11/23 250,340土合―420,430西黒尾根取付―525,5401本目(去年の幕営地)―600幕営地(仮眠)―1010出発―1100〜1530らくだの背―【雪上訓練アイゼンワーク、ザイルワーク、滑落停止、グリセード】―1550幕営地―2015消灯
11/24 410起床―650出発―750〜1150らくだの背にて雪上訓練【グリセード、ラッセル】―1215,1320幕営地―1415,1512土合―1915上野 

23日 曇りのち快晴 24日 雪のち快晴、気温高く無風 思ったより雪が少なくてがっかり。西黒の上り下りはどろんこでダブルの靴がもったいなかった。やはり雪が早く降ったとはいえ、11月は冬ではない。 1週間前にはあったのだろうが、気温が高いからどんどん雪が解けたみたい。ワカンなしでもラッセルにならない位。でも、天気がもってくれて楽しかった。滑落停止の訓練は富士山にお預けの形となった。帰りに西黒尾根にハンガリーの手袋を片方残してきたのは残念なり。

100回記念でボルドーのワインとマロングラッセとレーズンバターを奮発した。山でワインを飲んだのは初めて。すごくうまかった。〈100回〉すごく多いような気もするし、まだたった100回かという気もする。でも、量より質、内容が問題だ。来年からは惰性で山へ行くのでなく、山を選んで登る段階へ入らねばいかん。〈200回〉記念はいつそしてどこの山かな?

200回目はなんと1997年の屋久島/宮ノ浦岳まで実に23年も掛かってしまった。300回目はいつになるだろう。




雪上訓練山行/富士山 (1974.12.6〜8)


【ピッケル、アイゼン、ザイル使用】

[山行のねらい]
いよいよシーズン到来である。山をやるからには雪山の厳しさそして楽しさを知って欲しい。しかし、冬山の素晴らしさを味わうには、相当の基礎技術、経験、体力、精神力を要求される。今回の参加メンバーは無雪期に関しては一応の経験を積み、ある程度のレベルに達しているものばかりであるが、積雪期経験は乏しい。 前回、西黒尾根では雪の状態が悪く、十分な訓練が出来なかったので、今回は各自充分自覚してトレーニングに参加して欲しい。各自最低一つの努力目標を持ち、それを達成すべく励むこと。なお、冬富士は西黒などとは気象条件がまるで異なり、事故の可能性が非常に大きい。気分を引き締め、装備点検怠りなく臨む様。

CL 井形記


12/6 2100新宿―2225,2237大月―2327河口湖
とうとう冬の富士山である。現在この冬一番の寒気団が来ている。山頂は、一昨日の21時でマイナス18度。昨日18時には、25m、マイナス15度。氷と風の急斜面が待っている。緊張!久し振りに緊張の入山である。だけど、お袋が上京しているのに・・・CLだから予定変更は出来なかった。もっと早く連絡をくれれば良かったのだが。

12/7 410河口湖―510,520浅間神社―610,6402本目―735,755大石茶屋―850,910一合目―1005,1020三合目―1105五合目下―1135五合目(幕営)―八合目付近雪上訓練
快晴無風。もう移動高の圏内に入ったのか。穏やかな日和。雪煙はすごいけど、雪は六合五尺位までしかない。風邪引いて喉がすごく痛い。せきが少し出る。マイッタ。気象通報では12時の山頂は風速20m、マイナス20度。七合目でアイゼン、ゼルバン付ける。雪上訓練中大落石あり。誰か落ちたらしい。

12/8 400起床―520出発―615,620六合目―710,730七合目―830,1120八合目【雪上訓練】―1240,1415幕営地―1510,1525馬返し―1625,1635中ノ茶屋下―1730,1740富士吉田―1830,1835大月―高尾
林道歩きは長かった。中ノ茶屋から振り返った富士山がうそみたいに大きかった。汗が冷えて、帰りの電車で寒かった。風邪は大丈夫かな?どうも滑落停止は下手糞でダメ。もっと徹底的に練習しないと。もちろん絶対滑落してはいけないのだが。 冬富士は天気が良くて風が強いと聞いていたが、天気は2日とも最高。移動高に覆われて8日は風もほとんどなく12月とは思えないほど。この前9月下旬に登頂した時より雪は少ないくらい。これで、上半・下半と2回に分けて富士山を完登したことになる。


 
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