山旅1972年

春合宿/雷鳥沢から立山 (1972.4.30〜5.6)


(計画書のみ、コースタイム不明)

【アイゼン、ピッケル、ザイル、ゲレンデスキー使用】

[計画書はしがき]
今回、当山の会は5月初旬の合宿山行を立山、剣岳にて行うことになった。本来ならば剣沢にBCを設営し、剣岳の代表ルートにトレースするのがオーソドックスな方法と思うのだが、当会としては、積雪期の3000mの山に対してはビギナーでもあり、また参加者の大多数がスキー練習も希望していることもあって、雷鳥沢の取付点〈雷鳥荘〉付近にBCを設営し、立山・剣岳の初歩ルートをトレースすることにした。 これによって将来各会員の雪上技術の練達と積雪期山岳の研究を充分行ってバリエーションルートをトレースする足掛かりを掴んでもらいたいと願うものである。
CL金沢記


4/30上野―
5/1富山―立山―美女平―室堂
5/2〜5雪上訓練、立山縦走、雨天停滞
5/6室堂―美女平―立山―富山―上野

[春山合宿を顧みて]
目標:雪上基礎技術の習得、重量負担力の増加、スキー練習
結果・収穫:アイゼン登降、滑落停止
反省:悪天候、雨中テントのみじめさ、スキー出来ず、ほとんど行動出来ず

結論からいえば、今次合宿の唯一の収穫は5月4日夜の低気圧下の幕営経験ということになろうか。今回の山行について、自分としては来季冬山に対するトレーニングという点に力点を置いていた。 初めての雪山ということで具体的には雪上基礎技術(アイゼン登降、滑落停止、グリセード、基本的ザイルワークetc)の習得、装備負担力の増強、耐寒訓練、スキー練習といったものである。余り天候に恵まれなかったため、スキーはほとんど出来ず、停滞ばかりで体力養成にもならなかった。

また、雨が降るくらいだから耐寒とはいかず、このような点では大きな収穫は得られなかった。ただ、5月3、4日の両日の雪上訓練及び立山縦走によって、アイゼン登降と滑落停止の大体の要領はつかめたと思う。 今回の悪天は行動範囲を狭め、日程を短縮させたという点ではマイナスだったが、風雨下の幕営の経験を、将来のより悪条件下の山行のトレーニングとして考えれば大きなプラスともいえる。もっとも、天幕設営技術及び装備点検が十分なら、もう少し居住性は良かったはずであるが。

ところで今回の装備はスキーを含めて入山時43kg、下山時42kgとこれまでの最高25kgをはるかにオーバーしたとはいえ、第1日目わずか30分と持たなかった。パッキングの悪さと共に体力不足を痛感した次第である。ランニングは脚力と心肺機能の増進になるが、腰及び上半身を鍛えるには不十分なので、うさぎ跳びや水泳を並行して行う必要があると思う。
井形記


立山黒部アルペンルートは1971年開業だから、開業2年目に行った事になる。室堂〜大町は運行されており、室堂のコンクリートの大きな建物に入ると都会のように感じられた。しかし、美女平〜室堂間のバスは6月1日開通だったようで、ゴールデンウィークには美女平から歩くしかなかった。

その美女平から歩き始めてすぐにばててしまった。荷が重いこともあるが、キスリングが丸く太ってもろに後ろに引っ張られるような下手糞なパッキングも原因だった。中川さんが皆のスキーをそりにしてキスリングを載せて引っ張る案を考えたが、余りうまく行かなかった。

室堂のBCでは強い二つ玉低気圧の通過で春の嵐となり、猛烈な風雨でカマボコテント(《ボンボン》と云っていた)がつぶれ、水浸しで寝られず。マットが水に浮かぶ島のようで、結局シュラフまでビショビショになった。テントの細いポールがペチャンコになり、寝ているとテントの天井が顔に当たる状態になったので、皆起きてヘルメットをかぶり、頭でテントを支えて朝まで我慢した。

この夜のような風雨はその後の山では経験したことがない。それでもテントの周囲の雪をきちんと掘って溝を作れば、あれ程水浸しにはならなかったろう。嵐と荷の重さだけが印象の山である。(下山時に重量が減ってないのは水を吸ったテントやシュラフを乾かす時間もなかった為)年長者はアルペンルートで大町へ下山したが、金の無い若手は濡れた重荷を背負って美女平まで再び歩いた。(当時、室堂〜大町は5000円位だったと思う)

会のレベルもこの後急速に上がっていき、金沢さんの《念願》だった剣沢BC設営によるバリエーションルートトレースは、夏ではあったが75年に実現した。沢登りを少しやっただけで、岩登りは全くやっていなかったこの当時は、3年後にチンネの左稜線まで登攀することになろうとは夢にも思っていなかった。それにしても、入会1年にもならないのにチーフリーダーのような反省を残している。心底山に打ち込んでいた当時の様子が伺えて懐かしい。
 



バスハイク/燧岳〜尾瀬ヶ原(1972.6.2〜4)


(計画のみコースタイム不明)

6/2 大井町2200発
6/3 大清水―一ノ瀬休憩所―三平峠―長蔵小屋―燧岳―十字路―弥四郎小屋(泊)
6/4 弥四郎小屋―竜宮小屋―富士見峠―アヤメ平―富士見下―大井町

毎年、同光会大井支部主催、ニコン山の会後援という形で社員を30〜40名募集して、班別に部員が引率するバスハイクを企画・実行していた。会としては多大なエネルギーを使う面倒なイベントだったが、この参加者から部員を集めるという大きなねらいがあったし、同光会の補助金をもらう上でも、重要な行事であった。部員として初めてのバスハイクであるが、初心者を引率するいい経験でもあった。
 



昭和47年度都岳連指導者講習会/剣岳(1972.7.4〜9)


【ピッケル、ザイル使用】

主催:東京都教育委員会、東京都山岳連盟、東京都高等学校体育連盟
メンバー:茂呂他講師・受講生(約60名)

上級8班 飯塚(府中登高会)、今泉(都武蔵高)、及川(足立区岳連事務局)、成田(一橋高)、久保(青梅石楠花山岳会)
9班 牧野(都池袋商高)、五木田(青梅石楠花山岳会)、河村(同)、漆原(朝日生命)、井形

都庁にて事前オリエンテーションが2回(6月29日、7月3日)あり

[内容]1.講義:装備と幕営、山岳気象、事故の防止と救急法、立山の自然とその保護
2. 実技:歩行技術、設営技術、雪上技術、観天望気、登攀基礎技術、自然観察等
3. 研究協議、情報交換

[講師・助言者] 文部省登山研修所所長 西野間幸雄
東京都山岳連盟指導教育委員長 半沢  稔(緑山岳会)
日本山岳協会常務理事 山口 善弘
東京都山岳連盟気象委員長 北原 由昭(気象庁)
〃  公認指導員 佐藤  仁(緑山岳会)
〃  公認指導員 磯部 恵一(緑山岳会)
〃  公認指導員 砂川  清(緑山岳会)
〃  公認指導員 鎌内  章(府中登高会)
日本山岳会 医  師 大浜 和夫

[対象、人員、技術]
1. 区市町村教委職員、体育指導委員
2. 登山愛好クラブ(山岳連盟未加盟クラブ)、団体の指導者及びリーダー
3. 地域、職場、各種団体の野外活動指導者及びリーダー
4. 高等学校教職員
計80名(募集人数)

初級班……登山活動並びに指導経歴の少ないもの(実参加19名)
中級班……登山活動並びに指導経歴中程度のもの(同21名)
上級班……登山活動並びに指導経歴の比較的多いもの(同10名)
茂呂は中級班、井形は上級班に参加

[経費]受講料は徴収しない。交通費・宿泊費各自負担
(立山〜室堂ケーブル・バス代と研修所1泊分概算2200円、山岳保険480円)
[集合]7月5日(水)午前6時30分 文部省登山研修所(立山駅前)
[解散]7月9日(日)午前10時 文部省登山研修所
[装備]ピッケル、アイゼン、ヘルメット、ゼルバン、寝袋、食糧、幕営用具一式
テントは登山研修所のものを借用

[行動記録]
7/4 2051上野( 急行越前)
7/5 448,528富山―618,830立山―美女平―1100室堂―雷鳥沢―別山乗越―剣沢―1500文部省前進基地(山小屋)上級班のみ幕営
7/6 悪天のため停滞。午前/岩登り技術講習、午後/気象、山の医学講義
7/7 640BC―710長次郎雪渓出合―800熊の岩―900�絞��妻�のコル―1000�妻�の頭―1200�司�の頭―チンネ―1330長次郎の頭―1500剣岳ピーク―1600前剣―1700一服剣―1730剣山荘―1800BC
7/8 BC撤収―別山乗越―雷鳥沢―室堂―美女平―立山(文部省登山研修所泊)
7/9 閉講式、解散。立山―富山―2025上野

[参加の感想]
天候には全く恵まれなかったが、これ程実のある山行になろうとは予想外であった。正直な所、今回の講習会には大きな期待は持たず、軽い気持ちで上級コースに参加したのである。ところが実際は、技術的にはもちろん人間的にも一流の講師陣、そして山歴・体力共にはるかに優れた猛者連の間でもまれて、着いていくので精一杯という状態で終始してしまった。一時は上級に加わったことを悔んだ程である。

しかし、今にして思えば視界20m以下の悪条件の中を八ツ峰上半さらにチンネの頭まで登攀するという貴重な体験は上級班にいたからこそ出来たのである。無理をして本当に良かったと思う。下山の日、強風の中30kgを担いで40度の雪面を数百m下降出来たということは大きな自信につながった。山は理屈ではない。経験と体力そして精神力が全てであるということが良く分った。

もう一つの大きな収穫は人間的なつながりである。外部の多くの人に接し、その体験談や山への考え方を聴いたことは色々と参考になることが多かった。こういった横のつながりを持つことは遭難事故の場合にも有利になることだし、当会も都岳連加盟を具体化して良いのではなかろうか。

初めて懸垂下降を教えてもらい、ザイルの投げ方、回収の仕方なども習った。都岳連加盟について会の中でどんな議論をしたか覚えていないが、会員20名以上という条件はクリアしていたのに何故加盟しなかったのだろう。(入会金は3000円、年会費2000円だった)この時の講師だった気象庁の北原さんには、その後何度か合宿前に電話して台風情報など教えてもらった。
 



個人山行/谷川岳 /西黒本谷〜天神尾根(1972.10.8)


10/8   032上野―400,415土合―510,530土合橋―610田尻沢出合―730ガレ沢出合―1130稜線―1230トマノ耳―1330憬雪小屋跡―1520天神平―1550ロープウェイ駅―1613,1633水上―1823上野

この時、涸れ滝の岩場の途中で進退窮まり、ずっとへばりついていたことを覚えている。落ちるかと肝を冷やしたが、最後は何とか下りられた。単独行は26回ある。ほとんどは六甲山と丹沢の沢だが、これが最後となった。山の会に入ってからは常に仲間がいて一人で行くことはなくなった。
 



偵察山行/上州武尊岳縦走(1972.11.17〜20)


[合宿を前に]
高い山々には初雪が降り、本格的な冬将軍が訪れるのも近い事であろう。その初雪が来た山―武尊に我々は行こうとしている。谷川連峰から独立し、孤独のように寝静まった山、そんな感じのする山である。冬山合宿の偵察を兼ねているが、もう山は冬であるので気を引き締めて行動したい。そして頂上で共に喜びを分かち合おうではないか。
        
CL 石合記


11/17上野2213発
11/18 147,648沼田―720,745川場太郎―825武尊橋―945旭小屋―1045尾根1本目―1135尾根2本目―1230尾根3本目―1340尾根4本目―1410不動岳(幕営)―消灯1910

晴のち小雪のち晴。沼田駅では余り寒さを感じない。旭小屋の手前辺りから風が強くなり、休むと寒い。水を補給して、34kgの重量での川場尾根はつらい。途中、雪や氷をむさぼる。尾根に入って3本目でバテてしまった。ひどい靴ずれが出来たがそんなことは問題にならない位きつかった。幕営地にはほとんど雪は無く、水が無いのがつらい。

11/19 715幕営地―8201本目―920,950前武尊―1345,1400武尊岳―1610避難小屋(幕営)

前武尊の登りは非常に厳しく、牛歩もいいとこ。さすがにCLは強いと感じた。頂上に着いた時はうれしかった。水場の有難かったこと。食器・鍋を洗った時の水の冷たさ。

11/20 500起床―707避難小屋―855,905上の原―945久保―1048,1050水上―1325上野

下りは快調。久保の手前、アスファルト道は靴ずれにこたえた。この靴ずれが完全に直るのに1ヶ月掛かった。(入山時34kg、下山時28kg)
 



雪上訓練山行/谷川岳西黒尾根(1972.12.2〜3)


【ピッケル、アイゼン、ワカン使用】

12/2 816上野(ゆけむり2号)―水上―ロープウェイ駅―警備小屋(ツェルト泊)

夜行は混むし、疲れるので、朝の電車にした。天神平の積雪95cm。風雪の為、ロープウェイ駅で停滞。ヒマを持て余して、パッキングの研究などで時間をつぶす。一応、ツェルトビバーク。

12/3 600警備小屋―615西黒尾根取付―850憬雪小屋跡―930,945ざんげ岩直下―1100憬雪小屋跡―1230警備小屋(あと記録なし)

快晴。稜線上は強風で雪煙が舞いカッコいい。ピークだけは雪雲の為、最後まで見えなかったが、迫力満点。ざんげ岩直下で、大事を取って引き返す。初めてわかんを使用。
 



個人山行/谷川岳(オキノ耳)/西黒本谷〜天神尾根(1972.12.15〜16)


【ピッケル、アイゼン、ワカン使用】

12/15 2213上野

長岡行きはメッタ混んでしゃがむことも出来ない。

12/16 土合―810西黒取付―憬雪小屋跡―1236,1330オキノ耳―1540,1610天神平駅―ロープウェイ駅―水上―高崎―上野

天気が良く無風の為、快調に登れる。去年から数えて谷川へ来るのは5回目でやっとピークを踏むことが出来た。
 
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