山ガール闊歩する雲取山(2017m)
 
日 時 : 2011年6月18日(土)〜19日(日)

行 程 : 【18日】 1250佐倉−1445船橋−京葉道路−首都高−中央道−八王子IC−1630JR北八王子駅−八王子IC−1730相模湖IC−1850小袖乗越下駐車場 (車中泊)

【19日】 507駐車場〜513小袖乗越〜600,605950m地点〜655,7101200m地点〜725堂所〜800,8101380mマムシ岩下〜736七ツ石小屋〜915,935ブナ坂〜1020,1035ヨモギの頭(奥多摩小屋)〜1120,1135小雲取山の上〜1150,1245雲取山〜1330,1334ヨモギの頭〜1402ブナ坂〜1436,1442七ツ石小屋分岐〜1517堂所〜1635,1700駐車場−1725,1820小菅の湯−1950相模湖IC−2030,2100石川PA−日野バス停−首都高−京葉道路−2215船橋−2315佐倉

累積標高差 : 上り1560m、下り1560m
歩行距離 : 19.5km
行動時間 : 11時間30分
歩行時間 : 9時間(コースタイム8時間)

ルート断面図とルート図
雲取山断面図 雲取山ルート図
カシミール3Dにて作成しています

写真をクリックすると拡大します。 また雲取山の樹と花は photos をクリックして下さい

深田久弥が「小川山から東に向かって雲取山まで続く(二千米を越す)連嶺は、日本アルプスと八ヶ岳を除けば他に例を見ない大山脈であり、甲武国境を走ってその最後の雄を誇るのが雲取山」と表現したように、ここから東に2000mを越す山はなく、いくつもの小山脈に別れて武蔵野に向かって落ちて行く。

雲取山は東京都・埼玉県・山梨県の境にあるのだが、百名山でもあり首都圏唯一の2000m峰とあって人気が高く、三峰口・三条の湯・鴨沢・富田新道・長沢背稜など数多のルートが開かれている。しかし、東京都の山とはいえアプローチは大変で鉄道・バスによる入山では夜行日帰り出来ない。

今回我々は前夜発日帰り可能なルートとして鴨沢口を選んだ。上野原から鶴峠を越えて奥多摩湖を渡り、鴨沢から小袖乗越への道は判りにくく、さんざん迷ったが何とか広い駐車場に辿り着き車中泊。4時過ぎ起床、散乱した車内を整理して荷をまとめ軽くストレッチをして5時過ぎに出発。メンバーはいつもの黄昏3人組である。

雲取山 雲取山
 
昨夜の雨は止んでいるが空は暗く、周囲にガスが立ち込めて遠望は利かない。気温は14度で風はなく歩くと蒸し暑い。舗装路を200m程登ると左側に登山口があった。路側帯に数台分の駐車スペースがある。杉林の中、尾根の右側を巻くように段差なく緩やかな道が続く。右下にはしばらく林道が見えていた。

人工林が続くが、間伐された森と手入れされない森が入り交じっている。フタリシズカが非常に多くて目立つ。繁殖期とあって野鳥の囀りが実に多彩なのに、相変わらずホトトギス・シジュウカラ・ウグイスしか聞き分けられないのが残念だ。左手前方に崩壊寸前の廃屋が現れた時、突然白っぽいものが屋根から飛び降りて裏の斜面を駆け上がった。あちこちから猿の鳴き声が聞こえるのでかなりの数がいるようだ。 荒れ果てた畑の周囲に動物避けネットが残っているのが何ともうら寂しい。しばらくして左手の斜面に【多摩川水源森林帯活動地】の看板あり。きれいに枝打ちされた杉が整然と並んで見事な美林である。道一杯にイロハモミジの緑色の翼果が散り敷いているが鳥が啄ばむのだろうか。

6時、高度950m付近で休んでいると若い人が一人また一人とすごいピッチで追い抜いて行った。この辺りから粘土質の道がぬかるんでいて靴が重くなる。雨は降っていないものの相変わらずガスが晴れず、展望のないほぼ直線の単調な道が延々と続く。ペースは特に遅くはないはずだが、次々に若いパーティに追い着かれては道を譲る。 ほとんどが今風の山ガール・山ボーイファッションに身を包んで華やかである。皆ぬかるみをものともせず、足取りも軽やかに
「おはようございまーす」
「すみませーん」
声を掛けて脇を抜けて行く。黄昏3人組は黙々と歩きながら老いを実感させられる。7時前、1200m付近で2本目を立て、大きな岩に腰掛けて朝食とするが、昨夜の食べ過ぎで胃の調子がおかしくバナナとおにぎり1個がやっとだ。1時間以上のぬかるみ歩きですっかり足が重くなってしまった。まだ先は長いのでバテないようゆっくり歩く。 堂所を過ぎると、モミやアセビなどの自然林とヒノキ・スギの植林が交互に現れるようになった。道脇に巣箱がいくつも掛けてある。

七ツ石分岐で下って来たパーティに七ツ石小屋ルートが歩き易いと勧められて右の急登路を選ぶ。急だが乾いているので足は軽い。所々ヤマツツジが咲き残っている。8時半頃七ツ石小屋を通過、七ツ石山は巻いて9時15分ようやくブナ坂に到着。主稜線上の広々した鞍部であるがカラマツやミズナラの樹林に囲まれて展望はない。 行程の3分の2は終了したし、もう急な登りはないので大休止とする。元気を取り戻した3人の間で「フキ畑論争」が勃発。
「この斜面はイノシシが耕したんだよ」
「この足跡はシカかもしれない」
「山小屋の小屋番が耕してフキを植えたんじゃない」
「こんなに広いのに一人じゃ出来ないよ。自然になったに決まってる」

雲取山 雲取山 雲取山
 
主稜線の南西側斜面は延々と幅50m程の草原になっており、直径30cmのツワブキのような葉の草で一面覆われていて段々になっており、いかにも人が耕したように見えるし、イノシシが一生懸命掘り捲くったようでもある。北東側はブナ、モミ、カラマツ、オオカメノキ、ハウチワカエデ等の自然林が続いているので森林限界を越えたのではない。 自然のギャップがこんなに整然と続くことは考えられないので防火帯として伐採したのだろう。この辺りからシカに食害された幹が目立ち始めた。糞が大量に落ちている。「フキ畑」の足跡もシカのようだ。食べ頃のワラビも沢山生えているが頭を摘まれたものが多い。登山者が採ったのだろう。

ヤマザクラのような花が満開を過ぎて散り始めているが今頃咲くのだろうか。(後で調べたら花期が5〜6月のミヤマザクラだった。小さな葉状の苞が特徴)ガスの中でミツバツツジも目立つ。先ほど抜かれた山ガールがもう降りて来た。
「もう登って来たの?」
「いえ、何も見えないのでこの上で止めました。天気がいい時にまた来ます」
明るく言って駆け下りて行った。
「若いっていいなあ」

山ガール蕗の尾根道闊歩して

広場のような遭難救助用のヘリポートを過ぎると奥多摩小屋だ。ここまで「フキ畑」が続いている。小屋番に聞くとこれはツワブキではなく高山植物のマルバダケブキだった。以前笹を刈ったら増えたらしい。数百mに及ぶ大群落なので夏の花時には斜面が黄色に染まって壮観だろう。またイノシシはここまで上がって来ないらしく「耕した」のはシカらしい。これでフキ論争に決着が付いた。(昭文社の地図にはマルバダケブキの表記あり)

小屋を過ぎると傾斜が増して疲れた足には堪える。いくつかの分岐を経て小雲取に至るが依然としてガスは晴れない。展望は全く望めないけれど道沿いに見るべきものはいくらでもある。カラマツには去年(茶色)と今年(緑)の球果(松ぼっくり)が並んでいるし、束生する若葉の中心に大きな水滴を抱えているのもある。 別のカラマツには斑型のナミテントウが張り付いているがカイガラムシでもいるのだろうか。マルバダケブキの横には亜高山性のスミレであるキバナノコマノツメやミヤマキンバイなど高山植物がちらほら。12時前、最後の急登を何とかこなしてようやく雲取避難小屋に辿り着いた。出発してから7時間弱である。

目の前が「山頂」なのだが何だか様子が変だ。【山梨百名山雲取山】の標柱のみで三角点がないのみならず、メジャーな山にしては案内板やら登山記念的な設えが全くなく実にシンプルな山頂なのである。休んでいる登山者もいない。好ましいけれど本当に山頂か訝りながら地図を見ると、三角点は小屋の右にある。 その方向をよく見るとガスの間から本物のピークがちらりと覗いた。ここより少し高い。
「山頂はあそこだ」
置いたザックを再び担いで50m程移動。これでは視界が利かない時には勘違いする人もいるだろう。さすがに首都圏の百名山らしく【原三角測點】という立派な三角点や石造りの山名表示盤などそれらしい雰囲気であるが、天気が良くないせいか混雑しておらず、静かな佇まいである。山名標柱は埼玉県と東京都の二つあった。 【山梨百名山】の標柱がさっきのピークにあるのは県境のためだろう。3都県にまたがるのだから本来の山頂に3つ並べればいいと思うのだが、誰かがクレームを付けるのだろうか。休んでいるのは中高年と若者が半々という感じだが、同年輩の登山者に出会うのは今日初めてだ。登りでは若者ばかりだったのでこの人達は三峰や三条の湯などから登ったのだろう。

雲取山 雲取山 雲取山
 
「原三角測點」は明治10年代に設置された内務省地理局による全国大三角測量の基準点であり、陸軍参謀本部陸地測量部による一等三角測量の先駆けである。 1882年(明治15年)に開始されたが首都圏から中部地方の100点程が選点された所で一等三角測量に引き継がれた為、実際に原三角点が埋標されたのは50点程度。一等三角点に埋め替えられたものも多く、現存が確認されたのは雲取山、新潟県米山、群馬県白髪山の3点のみ。形状は四角錐台で高さ40cm、上部は15cm角と一等三角点に比べかなり大柄。100kg以上ありそうだからまともな山道もない時代に担ぎ上げるのは大変だったろう。天面には大きく×印、側面には原三角測點と表示。傍には同型で小柄な標石があり、補助点と考えられるがどのように利用したかは不明。

端のほうに陣取って昼食を摂る。目の前のカラマツが数本立ち枯れている。幹をシカに剥ぎ取られたものが多い。シカが多いということはいずれ山ヒルも現れるのだろうか?山頂を辞して下り始めると続々と登って来る登山者とすれ違うが、中高年者だけでなく若者も皆息切れして足取りは重い。朝一で登る人達とは体力が違うのか。
「もうすぐですよ」
「がんばってね」
こちらは余裕で声を掛ける。奥多摩小屋で少し休み、あちこち観察したり写真を撮りながら膝を痛めないようゆっくり下るので、山ガール・山ボーイのカップルが次々に追抜いて行く。登りでは気付かなかったサラサドウダンがびっしり花を付けていた。幹が見事な赤銅色に光るダケカンバは珍しい。ブナ坂、七ツ石分岐、堂所と快調に下って行く。

ぬかるみの道は多少乾いたような気がしたが、延々と続くので泥靴が重くなると共に腰が強烈にだるくなる。泥は膝の為にはクッションになっていいのだが。【多摩川水源森林帯活動地】の看板周辺は裸地の中にフタリシズカの群落だけが広がっているが、間伐で光が入ったためだろう。フタリシズカはハ゜イオニア植物だったか。 よく見るとフタリシズカの花穂は2本のものだけではなく3本以上も多い。マムシグサや偽茎にマムシ模様がないユモトマムシグサさらにカエデ類などの小さな実生が無数に葉を展開させており、数年後には植生が豊かになることだろう。今朝は沢山の猿が駆け回っていた廃屋周辺は静まり返っている。

最後は追い着いて来た高校生らしいグループに合わせて猛烈にピッチを上げて一気に林道に出た。わずかに下って駐車場帰着は16時35分。今回は久々の大きな山で腰ベルトをしていたのだが、最後は腰痛がひどくなった。累積標高差1560m往復約20kmに11時間半を要したが、実歩行時間は9時間で観察・撮影タイムを考えればほぼコースタイムどおりに歩けたことになる。黄昏3人組としては立派なものだ。

終日ガスに閉じ込められて全く展望はなかったが雨には降られず、瑞々しい新緑も爽やかで楽しい山旅となった。登山者も高校山岳部や20〜30代の山ボーイ・山ガールが半分以上を占め山も随分ファッショナフ゛ルになったものである。しかも若い女性を含め彼らの多くはファッションだけでなくしっかり体力も身に付けており、颯爽と歩く姿には頼もしさを感じた。 数年前まで中高年団体に占拠されて来た日本の山も正常化しつつあるようだ。また登山者が非常に多いメジャーな山であるのにゴミ一つ無くうれしい限りである。帰路立寄った【小菅の湯】は設備も良く、空いており、温泉は循環だがツルツルのアルカリ泉で十分合格点だった。

【参考】小菅の湯:大人600円