山旅1973年

正月合宿/上州武尊岳 (1972.12.30〜1973.1.2)


【ピッケル、アイゼン、ワカン使用】
12/30 816上野(ゆけむり2号)―1055水上―1145久保部落―1400二股の先―1530幕営地(夜 小雪)
夜行は大混雑が予想されるので朝立ちとする。入山時34kg。

12/31 415起床―730出発―8301本目―10002本目―11103本目―1235避難小屋の上―1335幕営地―2300消灯
19時薄曇り、マイナス4度

1/1 650起床―905幕営地―11001本目―1115,1140沖武尊山頂―1245幕営地
ピークへ空身でピストン。帰幕後雪上訓練。晴、マイナス6度。冬山合宿は初めての経験であったが、天候が穏やか過ぎてあっけなく登頂でき、冬山というより春山のような印象。何か物足りない気がした。下山時31kg。

1/2 620起床―920幕営地―10201本目―11452本目―1210上の原―1250久保―1325,1354水上(ゆけむり4号)―1616上野

偵察と違い、縦走ではなくピークピストンとなった。雪は5m位あったようだ。初めて山で越年。この後78年まで5年連続山で正月を迎えることになる。

 


個人山行/八ヶ岳/阿弥陀岳広河原沢左股(1973.1.13〜15)


【ピッケル、アイゼン、ザイル使用】

1/13 2320新宿発
1/14快晴 430,830茅野―学林―1000左股出合―大滝手前(ビバーク)
1/15晴 600ビバーク地―1100摩利支天―1200阿弥陀岳―美濃戸―茅野―新宿
当初期待した程の、氷壁・岩壁はなく、沢登りとしては興味あるものではなかった。ただ、若干のラッセルと御小屋尾根の最後の急登が印象にあるくらいである。それでも、小規模ながら初めてステップカットによる氷瀑登攀をやったし、2度の尻セードも快々適々なり。

初めての氷瀑登攀
 


個人山行/八ヶ岳/阿弥陀岳南稜(1973.2.16〜19)


【ピッケル、アイゼン、ザイル、ワカン使用】

2/16  2355新宿発
2/17 晴のち小雪 535,610茅野―650,700学林―800,8301本目―930,940二股―1030,1050旭小屋―1150,12004本目―1300,1310 5本目―1330立場山(幕営)
学林から朝日小屋までのアプローチで道に迷いたり。すなわち、辺りは分譲別荘地として開発中らしく、縦横に新しい切削道の走りたる為なり。面白きことに、何々様と記した、所有者の看板は女性名ばかりなり。
散々林道を行きつ戻りつした後、二股にて旧林道を発見せり。2時間余りのロスなり。旭小屋よりの登りは、前回(1971年11月)と同様、中々急にして長かりき。ただ、雪は少なくトレースも付いていた故、ラッセルの要なし。大助かりなり。終日晴なるも、午前中より巻雲が発生し、高積雲となり、明日の悪天を知らす。

2/18雪 710立場山―800,810 1本目―900,910 2本目―1000無名峰―1100,1110 P3基部―1210,1230阿弥陀岳―1310,1345行者小屋下―1430井形捻挫の為、樹林帯ビバーク
2/19曇り 樹林帯―1000美濃戸―茅野―新宿

美濃戸への下りで尻セード中、スピードをコントロール出来ず足で止めようとして左足首を捻ってしまった。滑落停止の姿勢を取らない初歩的なミス。強度の捻挫で歩けず。樹林帯の急斜面を磯貝におんぶしてもらって下るという情けないことになってしまった。磯貝は二人のザックも下ろさねばならず、大変な迷惑を掛けた。

美濃戸に着いた時は足が丸太のように脹れていた。踵を剥離骨折しており全治2ヶ月だった。この時どれ位会社を休んだか、松葉杖を使ったのか記憶が無い。
 



春合宿/北アルプス穂高連峰(1973.4.29〜5.6)


岳沢雪上訓練、奥明神沢〜前穂高岳3090m、天狗沢〜ジャンダルム〜奥穂高岳3190m〜前穂高岳、西穂沢〜西穂高岳2908m

【ピッケル、アイゼン、ザイル使用】

4/29 1310新宿(アルプス4号)―1800松本―タクシー―1925上高地―木梨平(ビバーク)
4/30 快晴風強し気温9度。600起床―700木梨平―930岳沢テント場、BC設営後雪上訓練――2000消灯
5/1 快晴 4度。430起床―奥穂南稜組(磯貝・母袋)、前穂組(井形・茂呂・宮崎)に分れる
630前穂組BC発―720奥明神沢―845前穂直下―950,1045前穂高岳―1145重太郎新道―1500奥明神沢出合―1650BC
6時30分出発。早朝だというのに雪はくさりかけ、アイゼンがグシュグシュと鳴く。奥明神沢に入ると太陽が陰って涼しくなった。慣れてきた足が軽快にピークに向かって進んで行く。9時50分、遂に前穂ピークに着いた。眼前に奥穂高岳と焼岳が見え、疲れも吹き飛ぶ。 30kgもの荷物を背負って3000mもの所まで、何故来るのかな?東京でデートしていた方が楽しいのに。どこの山へ登ってもいつも考えることであるが、下山するとまた、○○岳へ行きたいと考える。おろかな山男達。[ありんこ掲載山行報告](宮崎記)

5/2 雪のち小雨のち雨強し 5度 停滞
5/3 曇り 6度。600起床 テント場整備。後発組と合流し、雪上訓練
5/4 曇り 0度。300起床―500BC発―550天狗沢―710,730天狗のコル―1050ジャンダルム―1210奥穂高岳―1530前穂高岳―奥明神沢―1700BC―2045消灯
ベースを後に天狗沢を目指す。締まった雪にアイゼンが効く。巨大なブロック雪崩の跡も黒々と、畳岩が頭上に迫る。急斜面にステップを切り、快調に天狗のコルへ。風強し。アイゼンをガチャつかせ岩稜を進む。時折薄日が差す中を畳岩の頭を通過。岳沢へスパッと切れ落ちた高度感が快い。ジャンダルムを越えると、いよいよ核心部ロバの耳である。飛騨側へ固定ザイルで30m下降。鎖場を50mトラバース。さらにスラブ気味の岩をフリーで50m下降して終了。

浮き石の多いガレ場を登り切ると、ジャンダルムの怪峰が背後に迫る。馬の背をピッケルビレイで越え奥穂頂上へ。360度の展望はさすが。吊尾根をたどり前穂に着けば、眼下涸沢には数百の天幕がカラフルに展開。奥明神沢を一気に駆け下りる。BC帰還17時。[ありんこ掲載山行報告](井形記)

5/5晴 マイナス4度。450起床―600BC発―800西穂沢―1000,1100西穂高岳―西穂沢―1225,1440BC撤収―1530明神池分岐―1545河童橋―2100上高地―タクシー―2230,2320松本(アルプス53号) 5/6  430新宿
午前8時頃だというのに、前沢の雪面に日が照り暑い。尾根の方から時折サラサラと氷片が落ち、氷水がポトリポトリとリズムを打っている。目に入るものは白い雪面、黒い岩肌、真っ青な空だけである。体が白と青のコントラストに吸い込まれていくような気持ちだ。ピークに立つと、いつも言葉で言えない何かがある。それは一歩一歩歩いて初めて感じるものだろう。サア、下りは西穂沢だ!快適な?グリセードが待っている。[ありんこ掲載山行報告](母袋記)


西穂沢で初めてのグリセード、快適だった。八ヶ岳で怪我をしたので2ヶ月半もの空白期間を経て久々の山だった。この頃こんなに間を空けたことはない。この翌年、五竜で遭難後しばらく謹慎した時でも1ヶ月半で丹沢へ行っている。下山した上高地は人があふれていてバスもタクシーも長蛇の列で5時間も待たされた。
 



月例山行 西丹沢/同角沢(1973.7.7〜9)


【ザイル使用】

7/7 新松田―800玄倉―1100不動の滝―1400無名の滝―1600ビバーク地点

早朝、玄倉へ着き同角沢へ。不動の滝20mは井形トップ。中段がややオーバーハングで手こずる。瀑水の飛沫を浴びながらシュリンゲをアブミ代わりに使って乗越す。全員登攀。無名の滝は左壁から取付き、中段を瀑水を浴びながら右へトラバースする。トップ井形、中段のトラバースで足を滑らせ落下。ザイルで確保する。トップ磯貝に代わって登攀。他は巻き道を取る。初日終了。河原でビバーク。[ありんこ掲載山行報告](白数記)

7/8  ビバーク地点―1100東沢乗越―小川谷廊下―2000ビバーク地点

翌日の遺言棚は2段30mで水は涸れている。1段目のテラスで井形・白数と磯貝・植松のパーティーに分れて登攀。岩肌はもろく、ハーケンが効かない。井形トップ、フリクションで攀じ登る。東沢乗越から小川谷を横切って林道へ出るつもりが、途中から道を見失う。小川谷伝いに下るが、行く手を谷にはばまれ、沢の右を藪コギで進む。途中で日没、暗くなりラッテを点けて行動するが危険なので、谷側へ張り出した木に体をザイルで確保してビバーク。(白数記)

7/9 ビバーク地点―玄倉900―新松田

翌朝、沢へ下り、残りのジフィーズを水で増やして食う。沢の反対側から懸垂で5人程のパーティーが降りて来る。やはり、道に迷ったそうだ。再び沢の左へ登り藪コギで下る。目の前が明るくなり広い河原へ出る。そこから林道へはすぐで、玄倉へ着くとすぐ会社へ休暇の連絡を取る。(白数記)

ザンザ洞と並ぶ西丹沢の双璧、同角沢。滝で転落したが確保されて怪我もせず、完登出来た。帰路は水害で道がなくなっておりビバークを強いられたが、特に焦ることもなかった。会のレベルも随分上がったものだ。 予定外の休暇を取ることが唯一の気掛かりだった。
 



夏合宿/朝日連峰集中登山(1973.8.2〜5)


(計画書のみ、コースタイム不明)
沢隊(ガンガラ沢〜大朝日岳〜朝日鉱泉―予定)
縦走組(大鳥池〜以東岳〜大朝日岳〜朝日鉱泉)
8/2上野2350発(蔵王3号)
8/3山形―バス―宮宿―バス―白滝―朝日鉱泉―ガンガラ沢出合より撤退

8月5日に朝日小屋で縦走組と集中の予定だったが、大雨による増水の為沢を遡行出来ず、ガンガラ沢出合までで撤退。我々が下山した後、縦走組は返事があるはずもない交信を何度も繰り返したそうだ。
 



個人山行/北アルプス表銀座縦走(1973.9.13〜16


燕岳2762m〜常念岳2857m〜蝶が岳2664m

[山へ入る前に]

〈澄み切った空気。緑のハイマツに抜けるような青空がよく映える。ほてった身体に稜線をわたる涼風が快い。紅葉も間近の山並みの上を白雲が飛ぶ。夜ともなれば頭上には満天の星〉

今回の北アルプス行きは、天気さえ良ければこんなロマンチックな山旅が期待されます。でも、易しいとは言え3000mの山のこと、一度天候が悪化すれば厳しく恐ろしい顔を見せるのです。朝晩の冷え込みは東京の真冬並みです。郊外の日帰りハイキングと違って、十分な準備と心構えが必要です。

このコースには、余り急な登降はありませんが、普段運動不足だとバテてしまって、せっかくの山行が不愉快なものになります。出発まであと1ヶ月。日帰り登山をするとか、水泳、ランニング、縄跳びなどで少し身体を動かしておいて下さい。

そして、出発前1週間位はトレーニングを止め、夜行列車に耐えられるよう十分睡眠をとって、風邪に気を付けベストコンディションで出発できるようコントロールして下さい。二日酔いは禁物です。(服装や装備についての注意細々 後略)

9/13 新宿
9/14 快晴 有明―600中房温泉―845合戦小屋―1005燕山荘―1500大天井(小屋泊)
9/15 630大天井―1015常念岳―1500蝶ヶ岳ヒュッテ(泊)
9/16 700蝶ヶ岳ヒュッテ―1000三つ又―豊科―新宿

久し振りに山小屋の混雑を味わう。やはり天幕がいい。

機器営業部メンバーとの山行、初心者ばかりだが天気が良くて助かった。
 



個人山行/丹沢/背戸ノ沢左股(1973.9.23)


【ザイル使用】

曇り一時雨 845渋沢―900大倉―1010戸沢林道終点―1040本谷F1―1100二股―F3 10m―F4 2段12m―1520縦走路―1545政次郎尾根―1610,1630戸沢林道終点―1730大倉―渋沢

F3の直登は右からだが、落口のへつり気味の所ホールドが遠く若干緊張。F4下段は左からの直登に成功したものの、上段のチョックストーンの所はハングしており敗退。右から小さく捲いたが、外傾したボロボロの岩でハーケンが効かずかなりてこずった。
 



月例山行/苗場山(1973.10.5〜7)


10/6 2232上野

集合地点の上野駅に着いた私は、登山者の醸し出す熱気に快く迎えられた。クラブ員との挨拶を終えた私の心の中には、これからの未知の山行への憧れが、否応なしに沸き上がってくるのを覚え、その場の熱っぽい雰囲気に徐々に溶け込んでいくのを感じた。22時32分、佐渡55号新潟行の車中の人となった私は、今からもう山を夢見る旅人。長くて辛い夜の闇でさえも、様々な思いを私の頭の中を駆け巡らせ、期待に胸膨らむ朝へと導いてくれる。

一行の人はと見れば、さすがに慣れたもので各々の場所を確保して、中には既に夢心地の人もチラホラ。明日の鋭気を養う為には、睡眠が一番なことは良く分っているが、体の中のクツクツとしたものが妨げてしまう。[ありんこ掲載山行報告](今井記)

10/7 157,540越後湯沢―バス― 650祓川―1200,1315苗場山―1630赤湯温泉(幕営)

越後湯沢の駅には夜中の1時57分到着。10月初めでもあり、冷え込みはかなり厳しい。1番のバス、5時40分を待つ間、待合室のベンチに各々ツェルトを被って、しばしの仮眠を取ることにする。しかし、背中や首の隙間からの冷気が度々体を震わす。登山とは忍耐を要するのか、夜行で来ての朝の登り程辛く、身も心もすり減らすものはない。一歩一歩の歩みに、山との触れ合いを感じ取りながら、山との対話を楽しむ。

麓の紅葉は、まださほどではなかったが、中の芝、上の芝の湿原を通過する頃からは、全山の紅葉のきらびやかさは、さながら錦絵を見る如く。秋の澄み切った空に鮮やかに映る様は、言葉では到底言い尽くせない。期せずして、一行から感嘆の声が洩れたのも無理もない。神楽ヶ峰を越すと、突然目の前に苗場山の大きな山体が飛び込んできた。ここからの眺めは、苗場の頂上の平坦なユニークな様子が手に取るように判り、しっかりと心に焼き付けられた。しばしの急登に喘いだ私達の前に、数キロに渉ろうという大湿原が広がっていた。

所々に池塘を配した様は、さながら雲上の楽園かと目を疑わせた。湿原に大の字になり、体全体でこの喜びをかみしめながら、眠りに誘われた。(今井記)

10/8 500起床―730赤湯温泉―1100元橋―越後湯沢―上野
 



個人山行/谷川岳/一ノ倉沢烏帽子南稜(1973.10.20〜21)


(コースタイム不明)

【ザイル使用】

10/20  上野―土合―一ノ倉沢出合―南稜テラス(ビバーク)
10/21 南稜テラス―一ノ倉沢出合―土合―上野

初めての一ノ倉にはやはり圧倒された。雨の為登攀を中止し、南稜テラスでビバークしたが、夜8時頃白毛門上空に不自然に動く光を見た。最初は車か登山者のヘッドライトかと思ったが、稜線より上に浮かんでいるのでそうではない。 前後左右にふらふらしている。飛行機でもヘリコプターでもあんな動きは出来ない。二人でじっと見詰めたが、何か判らずUFOではないかと話し合ったのが印象に残っている。気象観測用ゾンデかもしれないがライトが付いていたのだろうか?あれは何だったのか未だに見当がつかない。
 



個人山行/甲斐駒ヶ岳(1973.11.2〜4)


北沢峠〜甲斐駒ヶ岳2966m〜黒戸尾根

11/2 2350新宿
11/3 晴のち曇り 甲府―830広河原―1130北沢長衛小屋―1345仙水峠―1510駒津峰―1600岩室(幕営)
11/4 晴 505 岩室―605駒ヶ岳―830七合目―1210笹の平―1315竹宇駒ヶ岳神社―韮崎―新宿

駒津峰で2回目のブロッケン現象を見た

 



偵察山行/五竜岳遠見尾根(1973.11.9〜12)


【ピッケル、アイゼン、ザイル使用】

[偵察山行に当って]
今年も冬山合宿の準備をする時期に入った。偵察山行といえども11月の北アルプスはそれなりの厳しさを持っている。油断の無いしっかりとした山行にしたいと思う。地形的な難しさより気象条件による登山技術の難しさおよびアクシデントが考えられる厳冬期に比べれば楽ではあるが、冬山の一つの形としてしっかりと登る事を希望する。
CL 磯貝記


[ありんこ掲載山行報告]
11月9日23時20分新宿発 アルプス7号
11月10日、6時13分神城、天気は小雨。一時間くらい駅でうろうろする。7時5分出発し、8時に工事中のスキー用リフトに乗せてもらう。8時40分に終点、そこから樹木が切られたぬかるみを30分歩き、9時20分に遠見小屋に到着する。遠見小屋を過ぎると急な登りとなる。11時25分小遠見に、13時30分遠見池に到着。今日はここを幕営地とする。

11月11日、4時に起床。天気は曇りのち雪。7時に出発し、シラタケ沢へ入る頃より雪が降り始める。五竜小屋へ着くと、もう冬山になっていた。五竜小屋でアイゼンを付け、気持ちを秋から冬に切り換え、11時20分五竜山頂を目指し出発。もう吹雪である。途中に於いて3名アイゼンを緩ませ、危険を感じ登頂をあきらめ、途中で引き返す。

五竜小屋に12時30分、ここで一休みして、シラタケ沢を下るが、無論トレースは消えている。しかし、これが2時間前に登った所とは思えぬほど雪が積もり、風と雪は荒れ狂っていた。尾根の樹林の中へ入ると、ほっとする。13時30分にBCに着き、全員の顔に笑顔が戻る。カマボコ型天幕の細いグラスファイバーのポールは雪で押しつぶされていた。いつものように夜は宴会に入り、一足早い冬山での楽しい一時を過ごす。

11月12日、3時起床。天気は曇りのち晴。7時45分出発する。真っ白な尾根にトレースをつけながら下山を開始。8時55分に中遠見、小遠見に着く頃はもう雪は消えていた。遠見小屋にて40分の休憩を取り、10時に出発。スキー場へ着く頃には、夏山のようであった。12時30分に神城、冷たいジュースに喉が鳴る。(磯貝記)
 



月例山行/ 丹沢/背戸ノ沢左股(1973.12.8〜9)


(計画書のみ、コースタイム不明)

【ザイル使用】

12/8 2100渋沢―バス―2112大倉(幕営)
12/9 沢組 BC―戸沢―F1―二股―F4―縦走路―新大日山荘(集中)―政次郎尾根―戸沢―BC撤収―大倉―渋沢

背戸ノ沢左股4回目で完全直登なる。初めて集中登山成功。
 



雪上訓練山行/ 谷川岳西黒尾根(1973.12.14〜16)


【ピッケル、アイゼン、ザイル、ワカン使用】

12/14 2213上野
12/15 400土合―500西黒尾根登山口―640BC設営(仮眠)―1030,1400ラクダの背にて雪上訓練―1620BC着―2130消灯
満天の星を見ながら緩傾斜の道をゆっくり西黒尾根へと向かう。寒さも感じず。快い気持ちで森林帯の中をジグザグ歩行。じんわりと汗ばむ。BCを決め、一息つくと、谷川本峰をピンク色に染めた御来光に皆うっとり。 仮眠後、ワカンとアイゼンの併用にてラクダの背までラッセル訓練。滑落停止訓練は、先ず自己確保を始めとし、二つのパーティーに分れコンテ確保などを行う。[ありんこ掲載山行報告](君島記)

12/16  500起床―800BC発―830ラクダの背雪上訓練―1330BC着撤収―1500ロープウェー乗場―土合―上野
ラクダの背までアイゼン歩行訓練。滑落停止訓練は、昨日の復習を4時間みっちりと行い、森林帯の中を思い思いにグリセード、尻セードしながら下る。(君島記)

 
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