山旅1969〜71年

尾瀬/尾瀬沼〜至仏山(1969.7.20〜25)


尾瀬沼〜大江湿原〜三条の滝〜尾瀬ヶ原〜至仏山2228m〜あやめ平

7/20 1000大阪―名古屋―1732,1735篠ノ井―1942,1950高崎―2038沼田
7/21 200沼田―320,400大清水―一ノ瀬休憩所―三平峠―630,700尾瀬沼山荘―730長蔵小屋(泊)
悪天のため燧岳中止。停滞
7/22  700長蔵小屋―大江湿原―沼尻平―白砂乗越―1200十字路―三条ノ滝―1700温泉小屋(泊)
7/23 645温泉小屋―東電小屋―ヨッピ吊り橋―800竜宮―下田代―920竜宮―三つ又―1210山ノ鼻―1400,1500至仏山―1610山ノ鼻(泊)
7/24 700山ノ鼻―740,800鳩待峠―855,915横田代―あやめ平―1000,1030富士見小屋―1230,1340富士見下―1520,1638沼田―1842上野―2240東京(銀河)―
7/25 751大阪

地元の六甲山にも登っていないのに、何故いきなり神戸から遠路はるばる列車を乗り継いで尾瀬まで出掛けたのかは覚えていない。単に有名な山へ行きたかっただけかもしれない。大学3年の当時、山は全く初心者で装備も服装も目茶苦茶だった。写真を見るとチロリアンハットにサングラス、キャラバンシューズまでは一応山の格好だが、シャツは普段の長袖カッターシャツで上着はおやじの古い背広、ズボンも普通のズボンで裾を靴下の中に入れたいかにも素人スタイル。

背中に小形のキスリング。皮のカメラバッグを肩に掛け、さらにズタ袋を肩から提げるという歩きにくい珍妙なイデタチである。まだ、尾瀬沼には渡し舟が運行されていた。大江湿原の見事なニッコウキスゲの大群落と水量豊かで豪快な三条の滝、そして数人しか泊まっておらず、ガラガラに空いていた温泉小屋が強く印象に残っている。

 


利尻岳(1970.8.21)


ルート、コースタイム不明
大学4年の夏休み、当時流行った〈かに族〉の一人として青函連絡船で津軽海峡を渡り、ユースホステル泊まりで北海道を旅した。(8月17〜31日)利尻と大雪と両方登るつもりだったが、大雪は天気が悪くて断念。
海抜0mから登った利尻岳では初めてブロッケン現象を体験した。正味で1700mの登りは北アルプスに匹敵する。この時はちゃんと山シャツにニッカーズボンを穿いている。六甲山に登り始めるのはこの後すぐである。大学4年の後半で暇があったのだろう。
 


六甲山全縦走(1971.3.14)


摂津本山―塩屋(500頃)―鉢伏山―高倉山291m―栂尾山―横尾山312m―高取山320m―ひよどり越―菊水山458m―鍋蓋山486m―再度山470m―摩耶山698m―杣谷峠―前の辻―六甲山ゴルフ場―凌雲台―六甲山931m―水無山―船坂峠―大平山681m―大谷乗越―岩原山―譲葉山526m―岩倉山488m―宝塚(1930頃)―岡本

学生生活の最後に、行程55kmに及ぶ六甲山全縦走を何とか達成したかった。これは六甲連山の全ての山を登るコースなのだが、街中を抜ける所が道が分りづらいので、事前に数度に分けてコースをたどり、全てのルートを覚えた上で張り切って出発した。

荷物は昼飯と水のみ。登りは早足、平地と下りはほとんど走るようにして、昼食以外は全く休まなかったように記憶している。とにかく14時間で55kmを走破し、へろへろになって夜の宝塚にたどり着いた。 この山行はその後の山でかなりの自信になった。このコースは宅地開発で削られて道がなくなったり、山そのものがなくなったりで今では様変わりしているようだ。都会に近い山だからやむを得ないのだろうが、故郷がなくなったようでさびしい気がする




槍ヶ岳〜穂高岳縦走(1971.7.31〜8.3)


槍ヶ岳3179m〜中岳3087m〜南岳3032m〜北穂高岳3109m〜涸沢岳3103m〜奥穂高岳3190m〜前穂高岳3090m(コースタイム不明)

7/31  1645新宿―2144,2148松本―2218新島々(駅泊)
8/1  新島々―上高地―徳沢園―横尾―一の俣小屋―槍沢―槍ヶ岳山荘(泊)
8/2   槍ヶ岳山荘―大喰岳―中岳―南岳―北穂高岳―涸沢岳―穂高岳山荘(泊)
8/3  穂高岳山荘―奥穂高岳―前穂高岳―岳沢―上高地―新島々―松本―新宿

初めての3000m稜線縦走に大感激。


槍沢雪渓の下でビールを飲んで炎天下を登ったら大バテという素人らしい失敗をして、山荘の下で歩けなくなった。最初から岩場には恐怖心が無かったようで大槍の鎖場で余裕の写真を撮っている。この後ニコン山の会に入会した。天気にも恵まれたが、初めての雪渓歩き、真っ白な雲と蒼過ぎる空、大迫力の岩峰など最高の夏山を満喫して大満足だった。我が山歴の原点とも云える記念すべき山行である。
 
槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走
 
槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走
 
槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走
 
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槍穂縦走 槍穂縦走 槍穂縦走
 



白峰三山縦走(1971.9.23〜26)


 (計画書のみ、コースタイム不明)

  9/23 新宿22時集合
9/24 新宿―甲府―広河原―大樺沢二俣―八本歯のコル―北岳―北岳小屋(泊)
  9/25  北岳小屋―間の岳―農鳥岳―大門沢分岐―大門沢付近?(幕営)
  9/26  幕営地―奈良田―帰路不明確

   山の会入会後、最初の山行。八本歯の登りの苦しさと下山後、大門沢で冷たい水に足を付けたこと位しか覚えていない。帰路は北に向かったような記憶があるので多分広河原――甲府――新宿と思われる
 



乾徳山〜黒金山(1971.10.22〜24)


10/22 2355新宿
10/23 238,310塩山―353徳和―730乾徳山―1230,1330黒金山―1630不動小屋(泊)
10/24 700不動小屋―900,920西沢渓谷入口―1050塩山―新宿


黒金山の下りで分厚く積もった落ち葉に足首までもぐって駆け下りたこと、今は亡き不動小屋に泊まって山菜の天ぷらがうまかったことが印象に残っている
 



偵察山行/八ヶ岳/阿弥陀岳南稜(1971.11.20〜24)


(計画書のみ、コースタイム不明)

【アイゼン、ピッケル、ザイル使用】
11/20 新宿―茅野(800円)
11/21 茅野―学林―旭小屋―立場山?(幕営)
11/22  立場山―青ナギ―阿弥陀岳―権現岳?―行者小屋付近?(幕営)
11/23  行者―?(?小屋泊)
11/24  茅野―新宿

初の冬山、初アイゼンはすぐに緩んでダメ。

冬山なんかやらないとずっと思っていたが、初めて冬の幕営を体験し、ザイルも使った。雪はそれ程多くなかったが、本格的山登りの原点となった山行である。計画書では、阿弥陀岳から権現岳を経由して行者小屋へ下ることになっているが、赤岳を経て権現ピストンは時間的に無理で一寸おかしい。また、山ノートには小屋泊のマークがあるが、どこの小屋か不明。帰路も不明確。ピッケルも初めて使用。
 
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